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阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

世界トップクラスを維持

大阪大学は免疫学研究の世界的な拠点の一つ。世界的に著名な研究者が多く集まり、ノーベル賞の前哨戦とされるカナダの医学賞「ガードナー国際賞」は過去5年の日本人受賞者3人のうち2人が阪大の免疫学の教授だ。阪大発の論文は国内外の研究者が多数引用し、臨床応用の期待も高い。

米文献情報会社「トムソン・ロイター」は今年4月、インパクトが高い論文数を分析し、日本の研究機関のランキングを発表した。過去11年の引用数が上位1%に入る論文の数は、免疫学分野で日本は世界5位。その免疫学で阪大は東京大や京都大を引き離し、日本のトップに輝いた。引用数が多いほど、後続の研究に大きな影響を与えていることを意味する。

臨床応用へつながる研究

近年、免疫学は進展を続け、研究の重要性は増している。免疫が低下して感染症などへの抵抗力が下がるだけでなく、免疫が暴走してもさまざまな病気を引き起こすためだ。厚生労働省が指定する難病のうち、全身性エリテマトーデスなど免疫がかかわると考えられる病気は多数を占める。がんワクチンなどがん治療への応用も多く試みられている。

臨床応用での阪大の貢献は大きい。関節リウマチの治療を大きく変えた特効薬「インターロイキン6受容体阻害抗体:アクテムラ(一般名・トシリズマブ)」は、総長を1997年から6年間務めた岸本忠三氏の研究グループと製薬会社の共同開発による成果だ。恩恵を受けた患者は多く、2013年に世界の売り上げが1000億円を超えてブロックバスター(大型新薬)入りを果たした。そのインターロイキン6は、1986年に国際的な競争のすえ平野俊夫総長と岸本氏により発見された。その後、インターロイキン6は関節リウマチなどの自己免疫疾患や慢性炎症性疾患に重要な役割をしていることが明らかにされた。両氏はこの業績により、スウェーデン王立科学アカデミーから2009年にクラフォード賞、2011年に日本国際賞を受賞している。

山村門下生と人脈

なぜ、阪大は免疫研究が盛んなのか。源流は、阪大の前身の大阪府立医学校校長を務めた佐多愛彦氏にさかのぼる。明治30年代当時、大阪は貧困層に肺結核がまん延し、患者数が突出していた。佐多氏は明治38年、肺結核専門の科を新設。大正14年、今村荒男氏が後任の教授に着任し、肺癆科は第3内科に改称された。後に第3内科が阪大の免疫研究の中心となり、現在の呼吸器・免疫アレルギー内科学教室と免疫学フロンティア研究センターに引き継がれていく。

第3内科の免疫学を確立したのは、昭和37〜55年に教授を務めた山村雄一・元総長だ。 山村氏は阪大医学部生の時に谷口腆二教授の免疫学の講義を受け、心を奪われたという。著書「免疫学に恋して」で「体が震えるくらい興奮した」「古めかしい過去の業績の繰り返しにすぎない他の講義に比べ、実に清新で魅力的」と述べている。

山村氏は戦後、国立診療所刀根山病院に勤務し、結核の研究で有名になった。阪大教授に就任すると、数々の成果を収め、がんの免疫療法にも力を入れた。日本免疫学会の創始者でもある。

山村氏の4代後に当たる呼吸器・免疫アレルギー内科学教室(旧第3内科)の熊ノ郷淳教授は「山村氏の魅力に引かれ、岸本元総長ら、そうそうたる医学部生が山村研究室の門をたたいた。第3内科の他にも、学外から本庶佑氏や谷口維紹氏ら優秀な研究者を阪大に集めた」と話す。山村氏も著書で「とりわけ印象深いのは(岸本、小川真紀雄、浜岡利之の3氏ら1期生の)昭和39年卒業組である」と触れた。いずれも山村氏の講義を聴いて第3内科を選んだという。平野総長も山村氏に憧れ第3内科の門を1972年に叩いた。平野氏がのちに大阪府立羽曳野病院(現在の大阪府立呼吸器・アレルギー医療センター)勤務中の1978年に結核性胸膜炎患者の胸水リンパ球からインターロイキン6の精製を開始したことも第3内科の伝統の為せる業であろう。亡くなる2カ月前に平野総長のためにめた山村氏直筆の色紙「樹はいくら伸びても天までとどかない それでも伸びよ天を目ざして」が総長室に飾られている。

人が人を育てる

山村氏の弟子であった岸本氏の下にも、岸本氏の魅力に惹かれて多くの優秀な人材が集まり、切磋琢磨した。免疫学フロンティア研究センターの審良静男教授もその1人だ。インターロイキン6研究のためマウス6000匹を使う実験を行い、日本中から実験用マウスが消えたという伝説も残されている。

審良教授はこの後、兵庫医大の教授に就任し、新たに自然免疫の研究を発展させ、坂口氏より一足早い2011年に「ガードナー国際賞」を受賞している。現在、自然免疫で働くTLRというたんぱく質は病原体のセンサーだけでなく、ストレスや加齢で蓄積する物質にも反応し、動脈硬化や糖尿病など生活習慣病とも関係すると判明し、幅広く注目されている。第3内科の伝統は今も続く。熊ノ郷教授は「教授就任後の4年間で、約100人が入局した。阪大にはいろんな先生がいて、優秀な学生が全国から集まってくる」と話している。

(毎日新聞科学環境部 根本毅)


受け継がれる医学部の免疫学 ─過去から現在─

教室の沿革

現在の医学系研究科の呼吸器・免疫アレルギー内科学教室は、明治38(1905)年、当時、猛威をふるう結核の診療と研究を担う「科」として、佐多愛彦教授により開講されたことに始まります。結核検診とBCG接種による結核予防法の確立、結核化学療法の臨床研究など我が国における結核の予防と治療法の確立に大きな役割を果たしました。

その後、結核以外の呼吸器疾患や循環器、消化器、内分泌代謝、神経、血液、免疫疾患など内科全般を診療研究教育の対象とする内科学第三講座(第三内科)として発展してきました。新しい研究分野である免疫学が隆盛を迎えるとともに、その成果として分子標的抗体を開発、関節リウマチの治療に導入しました。平成17(2005)年に内科全般を診療研究していた旧第三内科教室は、呼吸器疾患と免疫(癌免疫領域も含む)・アレルギー疾患を中心に診療、研究、そして教育を行う内科系臨床医学専攻 呼吸器・免疫アレルギー内科学教室として、再編され新しく教室を発展させています。


●熊ノ郷淳(くまのごう あつし)

1991年大阪大学医学部卒業。同医学系研究科博士課程修了。97年微生物病研究所助手、2003年同助教授、06年同教授、07年から免疫学フロンティア研究センター教授、11年から現職。日本免疫学会賞、大阪科学賞など受賞多数。15年ASCI(American Society for Clinical Investigation)会員に選出。免疫応答に必須の免疫調節分子として知られるCD40の関連遺伝子を探索する過程で、当時神経ガイダンス因子とされてきたセマフォリン分子CD100/Sema4DのcDNAを単離するとともに、セマフォリンの免疫系における役割を世界で初めて明らかにする。

(本記事の内容は、2015年6月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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