阪大StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

のびやかに、ひたむきに、
時に悩み、それでも前を向く。
そんな阪大生たちのきらめきの学生生活(ストーリー)

心に寄り添った10年。そして、これからも。
心に寄り添った10年。そして、これからも。

心に寄り添った10年。そして、これからも。

大阪大学災害ボランティアサークル「すずらん」

2011年3月の東日本大震災では全国から多くの若者が東北に向かった。被災地がどんな状況か、自分たちに何ができるのか、まったく分からない中、「居ても立ってもおれない」という思いに突き動かされての行動だった。大阪大学災害ボランティアサークル「すずらん」もその一つ。あれからまもなく10年、彼ら、彼女らは世代を超えて今も寄り添い続ける。

岩手県野田村との出会い

 震災直後に学生有志で立ち上げた「すずらん」が初めて向かった先は岩手県野田村だった。太平洋に面した人口約4850人の村は最大18mの津波に襲われ37人が亡くなり、500棟を超す家屋が被害を受けた。阪神・淡路大震災を機に設立されたNPO法人・日本災害救援ボランティアネットワークを通じ、「ボランティアが足りない」と要請があり、他大学の学生らとバスで駆け付けた。なにをしたらよいかわからないけど助けたいという思いで夢中で取り組んだが、短期間の活動では物理的な支援はできても、限界がある。物的支援は他の団体もやっている、まだ手の届いていない支援はなんだろうとメンバーで話し合い、すずらんは「心の復興」に寄り添い続けることを決めた。

 その想いが、代替わりをしても脈々と受け継がれている。

「繋がり」を育むために。のだ暮らし体感交流ツアー

 復興の原動力は「人のつながり」だろう、と2013年に始めたのが「のだ暮らし体感交流ツアー」。夏休みや春休みに十数人が民泊し、ワカメ漁やシイタケ栽培などを手伝う。公民館で地元の住民らと交流会を催す。仮設住宅や高台の住宅に移転する人たちもいて、元のコミュニティも変化を迫られていた。山間部と沿岸部とでは復興方針を巡る意識も違う。「地元の人を繋げるには、よそ者の方がやりやすい」という事情もあった。ツアーは毎年新入生たちにも引き継がれ、「帰省した孫を受け入れてもらえるような関係」になった。北野翔大さん(経済学部4年)は「何度も足を運ぶうち、普段しゃべらない人が、ぽろっと震災の記憶をもらす。そんな悲しみを共有できる存在の大切さ」に気付いたという。

ボランティアと思わないボランティア

 活動を重ねるなかで「“被災したかわいそうな人たち”と、はれものに触るような態度はとらない」というスタイルが培われた。近年多発する豪雨被害など他地域のボランティアに入ったときも同じ。前代表の川合芙実さん(法学部4年)は「おもしろいことがあれば遠慮なく笑う。『あなたの笑顔を見て、こちらまで明るくなった』という言葉に私の方が励まされた」と話す。だが今年度は感染症が立ちはだかり、野田村をはじめ、どの地域にも一度も足を運べていない。

 現代表の浦井宏敬さん(工学部2年)は「野田村とはオンライン交流会なども開いたが、顔を合わせなければ新しい関係を築くことは難しい」と歯がゆがる。一方で「今後どのような支援が必要とされるか、それを問い直す機会」と前向きにとらえる。

 「すずらん」の名は花言葉「幸福の再来」に由来する。疫病が収束し、新しい出会いが再来するときを待ち望んでいる。

※ 写真は、歴代のすずらんメンバーと野田村など人々との交流の様子

● 大阪大学災害ボランティアサークル「すずらん」

2011年4月に大阪大学の学生有志で設立されたボランティア団体。野田村支援プロジェクトをはじめ、関西後方支援プロジェクトや小学校への防災授業など被災した人たちの支援だけでなく防災への取り組みも行っている。

(本記事の内容は、2021年2月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

のびやかでひたむきな阪大生の物語『きらめきのStoryZ』に戻る
阪大研究者、阪大生、卒業生の物語『阪大StoryZ』に戻る