StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

無念の想いをバトンパス

東京オリンピックの開催年と重なる2020年大会は、競技会場、宿泊施設の確保が例年以上に難しかった。実行委員会は大学や企業等と何度も交渉を重ね、協賛企業を募るなど2年前から準備に奔走してきた。

応援団もまた、七大戦に欠かせない存在だ。大会期間中は、競技会場に出向き力の限り応援し、七大学の応援団が集う演舞会では各校迫力の舞を披露する。「今回は主管なので気合が入っていた」と語る黒川さんたちは、応援団による大阪市内でのパレードも計画していた。その全てが中止となった。

伊藤さんたちが中止を決めたのは4月末。「社会情勢と選手の健康を考えると、決断に後悔はなかった」と話す。黒川さんも悔しさはあったとしながら「地震などの大災害があるかもしれないと、心のどこかで思っていた。後悔しないように全力で取り組んできたので、中止は冷静に受け止められた」という。

とはいえ切り替えは難しかったと伊藤さん。ただ「自分たちの代で、連綿と続いてきた七大戦そのものが途絶えてしまうことを一番恐れました。それはなんとしてでも避けなければ」と前を向いた。60回大会へのバトンパス。「覚悟しとけよ」と次回主管の京都大学との引継ぎで冗談交じりに伝えながら、この2年間の経験を基に、ウィズコロナの七大戦をともに模索している。

それでも前を向く

インタビュー中に出てくる彼らの言葉の節々には、前を向く力が宿っていた。

伊藤さんは「引退試合の機会を失った4年生は悔しいと思います。でも培ってきたことが無くなるわけじゃない。『ピンチの後にチャンスあり』です。きっといいことが待っている。これぐらいで挫けて欲しくないし、乗り越えて活躍すると信じている」と自身と同級生にエールを送る。

また後輩に対して黒川さんは「先輩方の誰も経験したことがないことを学生時代に経験できて、かえってラッキーだとすら思うようになった。レアな経験は、きっと特別なエネルギーに変わると思う」と前だけを見据え、期待の言葉を口にした。「今回、過去の主管の際に実行委員をされていた先輩方にたくさん助けていただいた。これから先も、感染症などで中止になることがあるかもしれない。もしそうなった時に、気軽に相談に乗ってあげられる先輩でありたい」と伊藤さんは後輩を想い微笑んだ。

この経験を、何らかの糧にしたいと、誰もが奮闘している。

常に未来を見つめる二人の眼差しに、希望を見た。

● 全国七大学総合体育大会
北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の旧帝国大学7校の運動部(約40競技)が競技ごとに争い、総合順位を決める。1962年に始まった。大阪大学の優勝は過去7回。

(本記事の内容は、2020年9月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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