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副操縦士の試験で初フライト。「合格」の知らせに、思わず涙があふれた。
― 航空大学校ではどれぐらいの期間学ばれたんですか?
2年間ですね。その中で操縦士免許を取って、就活で再チャレンジした結果、ANAグループから内定をいただき2006年に入社しました。
― ちなみに調べてみたら、女性のパイロットは国内で1.8%しかいないという2023年度のデータを見つけました。今で1.8%ですから、出口さんが入社された頃は、さらに割合が低かったのではないでしょうか。そうした業界に飛び込むのに、抵抗感はなかったですか?
別に気にしてなかったですね。パイロットになりたいの一心でした。自分に合わなければ、また次の選択肢を探せばいいし。
― 周りと比べる必要などなく、飛行機を操縦する、それを仕事にするという自分の思いを貫くだけですね。
そうですね。ちなみにパイロットとして入社してもすぐに操縦できるわけではなくて、研修や訓練の期間があるんです。まずは、ご搭乗のお客様のご案内や手続きを行う「グランドスタッフ」などの地上業務に従事して。副操縦士になるには、そのための試験に合格して資格を取る必要があり、試験に向けた勉強や訓練をしていました。
― 夢がまさに現実になろうとしている時期ですよね。当時、どんなお気持ちだったんでしょうか。
とにかく、覚えないといけないことがたくさんあって。訓練中は正直、楽しいなんて気持ちは持てなかったですね。初めてコックピットに入って操縦したのは、試験の時。やるべきことが多くて、感動している暇はありませんでした(笑)。
― じゃあ、初フライトの記憶はあまりない感じですか?
そうですね(笑)。飛行機の出発時刻は決まっているし、やるべきことを遂行するのに精一杯でした。
その試験を経て、副操縦士としてお客様を乗せて良いかどうかの合否が出るんですけど。「合格」をもらった時に、私泣いちゃったんです。
― それまでは淡々と積み重ねてきた出口さんが。
2人組で訓練をしていて、その相方が泣いたから、私ももらい泣きしたのかなって思うんですけど(笑)。でも、すごく嬉しかったんですよね。
チームで、飛ばす。働きやすい環境づくりも、大切な役割のひとつ。
― 今、副操縦士になられてから何年経つんでしょうか?
私は2009年から副操縦士になったんですけど、途中、出産や育児で休暇をもらったので…歴は11年でしょうか。
― この11年を振り返って、副操縦士になられた頃と比べて、仕事に対する気持ちに変化はありましたか?
飛行機を操縦するのが好きな気持ちはずっと変わらないですね。でも、思い描いていたイメージとのギャップはあったかなと思います。操縦も、ずっと舵を握っているわけではなく、実はボタン操作が多く、自動操縦機能を多用しているんですよ。操縦そのものに使うエネルギーよりも、今はマネジメントに気を配っているように思います。
飛行機って、当たり前のことですが決して一人のちからだけで飛ばすことはできません。整備士やキャビンアテンダント、機長など。チームで飛ばしているんです。みんなが働きやすい雰囲気をつくることも、安全性に関わる重要な仕事。どれだけ操縦が上手くても、威圧感があるパイロットだと声をかけづらいですよね。だから私自身も、みんなが意見を出しやすいような環境づくりを心がけています。
休みたかったら、休む。自分のペースで歩けばいい。
― 出産・育児休暇を取られたということで、お子さんがいらっしゃるんですよね。
はい、息子が2人います。
― 育児と仕事って、どうやって両立させているんですか?特にパイロットのお仕事をされていると、家にいない時間も多いと思うのですが。
夫が支えてくれていますね。あと、去年1年間は休職していました。「サバティカル休暇」といって、休業・休職の事由を問わずに取得できる休暇制度があるんですが、それを活用して家族との時間をつくりました。
― 休職って、人によってはネガティブに捉えられたりすることもありますが、出口さんにとって休職は家族との時間をつくるためのものであって、決してネガティブな理由ではないですね。
そうですね。夫もふくめて、家庭と仕事の両立に必死だったんですよ。なんとなく育児も家事もまわっているけど、結構ギリギリだった。それで、ちょっとゆっくり家族と過ごす時間がほしいなと思って、休暇を申請しました。周りを見てみれば、私と同期のパイロットたちは、昇格して機長になっている人がほとんどなんですけど。私は、ちょっとゆっくりしたいなって。
― 焦りはなかったんですか?
いえ、むしろマイペースにさせてもらえてありがたいなと思っています。
― そういえば、アメリカのフライトスクールに行かれた時も休学されていたり、最初の就活では失敗されていたりして、周りの人に比べると遅めのタイミングで就職されていますよね。
そうですね。当時、みんなよりも就職が遅かったのは、ちょっとだけ気になりましたけど。でも、人と自分を比較しても仕方がないし、自分のテンポで歩いていけばいいかなって。就活だって、周りが商社を受けているんだから自分も商社にエントリーしようとか、大学院にみんな行ってるから自分も行こうとか。そういうことは、私には全くなかったですね。本当に自分が興味あることに一直線。それで言うと、数年前に大学に通いなおしたんですよ。
― 働きながら大学生ですか!?
100%オンライン授業なので、フライト先のホテルからでも講義を受けられるなと思って。
そこはビジネス系の学科がある大学で、自分のキャリアアップに活かしたいと思い入学しました。でも2年くらい通って、もういいいか〜って、やめちゃったんですよね。10代から70代までいろんな人が集っていて、すごく刺激があったんですけど。やめちゃった。
はじめから成功するとは限らない。成功したらラッキー!くらいの気持ちで。
― 出口さんって、一度興味を持ったらやり切る人なのかなと思っていたのですが、今のお話を聞いて、やめちゃってもいいんだって、親近感がわきました(笑)。
やめたって、いいでしょ。やめる時は、やめますよ。でもそれを自分で決めるのが、大事だと思うんですよね。もとは途上国開発の仕事がしたいと思っていたのに、それもやめちゃったし。
― たしかに。
パイロットだって、興味を持ったからやってみたけど、それが自分に合っているかどうかなんて、やってみないと分からないですよね。もし自分に合っていなかったら、途中でやめていたかもしれない。でも私の場合は、実はあまり興味がないこととか、やりたくないことって、そもそも選択肢から除外されるんです。だから、本当にやりたいことだけが、目の前にある状態。
― さっきお話されていた、みんなが商社を受けるから自分も受けるとか。そういう判断はしないということですね。
はい。私、大学生の時は自分が本当に好きなことが何なのか、あまりよく分からなかったんですよ。ただ、目の前にあることをやる。違うなと思ったら、やめてみる。
今振り返ると、大学時代は、自分が本当にやりたいことを見つめる期間だったなと思うんです。国連で働きたいと意気込んで入学したけど、ちょっと違ったかも、みたいな。開発学の勉強が面白くないってわけではなかったけれど、それよりさらに心が惹かれるものを見つけたというか。
― それが、出口さんにとっては飛行機の操縦や、パイロットになることだった。
そうですね。
― 失敗を恐れる気持ちとかは、なかったんですか。
失敗したら、失敗した時にまた考えたらいいし。そもそも、失敗したっていいじゃないですか。別にパイロットになれなかったとしても、それはそれ。その時は、心に傷を負ったりするだろうけど、死にはしないし、誰にも迷惑かけないんだし。
ちょっと話が逸れるかもしれないんですが、フライトで海外に行ったら、現地の言葉で話すようにしているんです。例えばメキシコに行ったらスペイン語、フランスならフランス語、みたいな。
― 話せるんですか?
いや、挨拶程度のレベルです。完璧に話したいとは思ってないし、でも通じるように練習して、通じたら嬉しい!っていう。完全に趣味ですね(笑)。私はどうやら、そういう一見意味のないようなことを楽しむのが、好きなのかもしれません。「パイロットになる!」と言っても、半信半疑の人が多かったし。でもスペイン語を話すことと同じように、なれなくてもいいけど、なれるように努力して、なれたら嬉しい!という感じだったかも。「効率的に生きたいなら、生まれた瞬間死ねばいい」。これは最近読んだ本の帯に書かれていた言葉で、衝撃を受けました。こんなことやっても意味ないかな、と思ってもいざやってみると、意外とそれが面白くて道がひらいていくのかもしれませんね。
― 人と自分を比べるのではなく、自分の尺度で考える。興味の扉は、日常のいろんなところにひらかれている。違うな、と思ったら一度立ち止まったらいい。出口さんのエピソードを通じて、自分らしい人生を歩むためのヒントをいただけたように思います。今日はありがとうございました!
人生の舵を握っているのは、みなさん自身ですから。ぜひ、空でお会いしましょう!
■出口紗希さん
兵庫県生まれ。大阪外国語大学(現在の大阪大学)外国語学部国際文化学科卒業。大学3年終了後に休学し、アメリカのフライトスクールで小型自家用操縦士免許を取得。帰国して復学し、卒業後は航空大学校でパイロットの資格取得に励む。2006 年度に ANAグループに入社し、地上研修と訓練を経て、2009 年に副操縦士デビュー。現在は2児の母となり、夫と4人家族で大阪在住。
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本記事は、2025年2月公開のマイハンダイアプリ「まちかねっ!」より転載したものです。