「ボーイング787型機」の副操縦士として、日本の北から南、世界各国を飛びまわる。
― 今日はよろしくお願いします!飛行機を間近に見るなんて、人生初めてでワクワクしています…!
こちらこそ、よろしくお願いします。この飛行機が、ふだん私が副操縦士として乗務している「ボーイング787型機」。国内線・国際線どちらにも使われている機体ですね。
― かっこいい〜!普段は、あそこに見えるコックピットにいらっしゃるんですよね。国内線・国際線どちらも乗務されているんですか?
そうですね。「ボーイング787型機」の運航路線すべてなので…国内だと、大阪や羽田、那覇、新千歳、熊本、長崎、福岡、広島、岡山とか。国際線は、アジア、ヨーロッパ、北米…国名を挙げるとキリがないんですけど(笑)、世界中ですね。ちなみに明日からはホノルルに行きます。
― 明日からホノルル!?一般客からすると旅行気分でウキウキしますが、出口さんにとってはもう慣れた感じなのでしょうか。
そうですね(笑)。特別感はそんなにないかも。
― 文字通り、世界を飛び回っておられるんですね。
途上国開発に関わりたくて進学するも、挫折。就活でパイロットの募集を見て…
― 出口さんがパイロットを志したのは、いつ頃のことなんでしょうか?
実は子どもの頃からパイロットとして仕事をしたいと思っていたわけではなく、飛行機を操縦してみたいと思ったのは大学生の時なんです。それまでは、中学生の頃から途上国の開発に興味があって。国連とかNGOに所属して、途上国の人たちと関わる仕事がしたいと思っていました。
― パイロットとはまた異なる仕事ですね。
はい。大阪外国語大学に進学したのも、国連の常用語である英語とフランス語に加えて、開発学も勉強できるっていうのに惹かれて。
― そもそも、なぜ途上国開発に興味を持たれたんですか?
母が外国人の方を対象にした日本語の先生をやっていて、いろんな国の人たちが日本語を習いに実家に来ていたんです。私もその人たちの母国へ遊びに行ったりすることもあって、日本とは異なる価値観や文化、環境にふれることが特別なことではなかった。そんな経験から、自分もグローバルに活動する仕事ができればと思っていました。
― その夢に近づくために、外国語学部・国際文化学科に進学されたんですね。
大学に入るまではその意志があったんですけど、途中で挫折したというか。いざ外国語学部に入学すると、帰国子女の人が多かったんですよ。英語が話せて、才能もあるみたいな人が、周りにたくさんいて。自分もちょっと英語ができるからって、周りにいる人たちに勝てる強みがあるかと言えば、そんなものは持っていなくて。今の自分じゃ太刀打ちできないと思ったんです。
― 大学に入って、強者揃いの中で自信を失った?
そうですね。だから途上国開発系統の職を目指すのを考えることはやめて、大学時代は熱中していたテニスばっかりやっていました。
― それは部活ですか?
はい、テニス部でした。で、就職活動の時期になって、進路をどうしようかなと考えていたんです。外国語学部は、航空業界を目指す人も多くいて。私もその波に乗っかって、航空業界で就職先を調べていたら、たまたまパイロットの募集を見つけて「これいいかも!」って。
― それまで、パイロットを志したことはあったんですか?
いや、特にないです。でも乗り物を動かすことは好きだったし、おもしろいと思っていましたね。車の免許はもちろん、中型バイクの免許も取得して、いろんなところに遊びに出かけていました。その延長線で、「飛行機を操縦するってすごくない!?やってみたい!」って思ったんですよ。
― 車とバイクの延長線で、飛行機!?飛行機に乗ったり見たりするのが好きだという人はよく聞きますが、自分も操縦してみたいって思える人はそんなに多くない気がします。
いや〜、やってみたいと思ったんですよね。
まずは小型の飛行機から操縦してみようということで、一年間休学してアメリカへ行きました。
パイロットに会いたくて、休学してアメリカのフライトスクールへ。
― アメリカに行っちゃったんですか!?日本でも操縦士免許は取得できるのでは…?
取れますよ。でも、日本だと費用がすごく高くて。それに、操縦士免許を取るためにというよりは、パイロットに会おうって感じですね。ふつうの大学生活を送っていたら、日常でパイロットに出会う機会って滅多にない。その点アメリカは、自家用機を持っている家庭もあるくらい、日本に比べてパイロット人口が多いんです。だからアメリカまで行ってしまえば、日本よりも簡単にパイロットに出会えるし、なぜ・どうやってパイロットになったのか話を聞けるし、英語も勉強できるし。「一石二鳥どころか、何鳥もある!」と思ってアメリカのフライトスクールへ行きました。
― 沖縄に行くか!くらいの軽やかさですね。
私にとっては、アメリカも沖縄もあんまり変わらないかもしれないですね。外国語学部の人って、休学して留学に行く人も多くいたので抵抗はありませんでした。もともと留学したいと思っていたので、その目的にパイロットの勉強がプラスされたという感じです。
― 現地に行かれてみて、手応えはいかがでしたか?
「乗れるわ」って思いましたね(笑)。簡単に考えてるわけではないけど、「これは無理」とか、そんな風には思わなかったですね。半年間で小型自家用操縦士免許を取得することができました。
― アメリカでの暮らしはどうでしたか?
フライト訓練中はスクールのアパートに他の訓練生たちと住んでいました。自家用機免許を取ってからは現地のコミュニティカレッジの聴講生をしたり、テニスサークルにも入っていました。
― さすがアクティブ!自由気ままなアメリカ暮らしを楽しんでいたんですね。とはいえ、フライトスクールでの勉強や試験、生活も全て英語ですよね。大変さや苦労はなかったですか?
あんまり思い当たらないんですよね。きっと努力はしていると思うんですけど、自分がやりたくてやってることだし。英語での勉強も生活も、やりたいことを達成するために必要なことだから、それが苦労かと言われると、悩ましいですね。
― これまでのお話をうかがっていて、出口さんって何かにチャレンジする時に、いい意味であまり深く考えていないというか。人によっては、失敗したらどうしようとか、うまくいくかなとか、リスク面を考えて行動に踏み出せない人もいると思うんですけど。やりたいと思ったからやっちゃうし、行きたいと思ったから本当に行っちゃうし。すごくシンプルですよね。
今も昔もずっとこんな感じです(笑)。
就活は不合格。落ち込む間もなく、次のステップへ。
帰国して、すぐ就活を始めたんですけど。当時やっていたドラマの影響で、航空業界はものすごく倍率が高かったんですよ。私は2社、パイロット志望でエントリーしたんですけど、結果は不合格でした。
― 不合格…!それは残念でしたね。
まあ、他の選択肢もなくパイロット一択でしたから。私、いつも進路は絞るんです。高校も、大学も、志望校は一つだけ。就活では2社エントリーしたんですけどね(笑)。結果どっちも駄目でした。でもまあ、不合格だったからといって、死ぬわけではないし。
― あっけらかんとしていらっしゃる。
就活が上手くいかなかったなら、別の方法を考えればいいわけで。それで、「航空大学校」といってパイロットの操縦士免許が取れる学校に行こうと思いたちました。
― すぐに切り替えたんですね。
その受験勉強が、大変と言えば大変だったかな。物理や数Ⅲ、数Cも試験科目に入っていて。私は文系なので、大学でもそんな勉強していないわけですよ。だから、阪大の工学部に通っていた友達に、ドーナツを奢るかわりに勉強を教えてもらっていました(笑)。おかげで無事、一発合格できて。大学を卒業して、航空大学校へ進みました。
▶︎ 後編 へつづく
■出口紗希さん
兵庫県生まれ。大阪外国語大学(現在の大阪大学)外国語学部国際文化学科卒業。大学3年終了後に休学し、アメリカのフライトスクールで小型自家用操縦士免許を取得。帰国して復学し、卒業後は航空大学校でパイロットの資格取得に励む。2006 年度に ANAグループに入社し、地上研修と訓練を経て、2009 年に副操縦士デビュー。現在は2児の母となり、夫と4人家族で大阪在住。
本記事は、2025年2月公開のマイハンダイアプリ「まちかねっ!」より転載したものです。