
100年変わらぬ学ぶまなざし ―医学部第1期生卒業アルバムから―
[阪大百年〜こんな阪大史、知ってはる?〜 vol.1]
1931(昭和6)年、大阪は中之島の地に大阪帝国大学として誕生した大阪大学。
2031年の創立100周年に向け、一風変わった角度から振りかえる「阪大百年〜こんな阪大史、知ってはる?〜」始動!
第1回は、眠っていた『第1期生アルバム』を紐解き、学びと研究の“原点”の様子を紹介する。
大阪大学アーカイブズの菅真城教授が、「貴重な史料です」と資料室から取り出してきたアルバムは、サクラ色の布地で覆われた重厚な一冊だ(本誌1-2ページに実物の見開き写真あり)。「大阪帝国大学医学部1期生のご家族からの寄贈」と言う。新設だった理学部と異なり、医学部は大阪府立大阪医科大学の官立移管で成立した。掲載された第1期生86人は3年次までは大阪医科大学生で、最終学年の1931年に大阪帝大生となった。アルバムは入学した1928年からの記録だ。
卒業アルバムは写真技術の進歩で明治後期から普及し、昭和に入るとスナップ写真やキャンパス風景、部活動なども収録した総合的な構成へと発展した。このアルバムもまさに阪大第1期生たちのキャンパスライフや世相を伝えている。一部は1981年刊行の写真集「大阪大学の50年」でも使われているが、これまで詳しく調べられた機会は少なかったとみられる。
理学診療実習
アルバムの編集・構成
アルバムの半分以上は、恩師や研究室の紹介とその授業風景だ。基礎科目の解剖学、生化学、生理学、細菌学、薬理学、病理学、法医学、衛生学に続いて、臨床科目の内科学(第1~第3講座)、外科学(第1、第2講座)、産婦人科学、眼科学、精神病学、小児科学、皮膚科学、耳鼻咽喉科学、理学診療科学、歯科学が紹介される。附属病院内での診療実習の様子も克明に記録されている。当時の日本の医学は海外の受容から脱し、独自の進展を見せていた時期で、特に北里柴三郎や志賀潔らが活躍した感染症学や細菌学などは世界のトップレベルに達していた。このアルバムには当時の最先端の電子医療機器なども見られ、写真からは学生たちの真剣な学びの姿勢が伝わってくる。
時代を映すアルバム
アルバム後半には当時の世相が色濃く反映されている。第1期生が学んだ1931年の開学前後は、日本の転換期だった。1920年代の大阪は工業が発展し、東京を凌ぐ「大大阪」として繁栄。大正デモクラシーによる自由主義やモダニズム文化が頂点を迎えていた。そこへ1929年に始まった世界大恐慌の影響が及び、満州事変などを契機に軍国主義が台頭し始めた節目の時代でもあった。
野球部やテニス部の紹介
それでもアルバムには、まだまだ自由なキャンパスライフが豊かに記録されている。テニス、角力(相撲)、水泳などの運動部、講演、ESS、弦楽合唱などの文化部の活動、盛況な大学祭や「第八回 日本医学大会」の様子は、写真の斜め置きやくり抜きなどモダンな編集が施されている。クラス旅行では朝鮮半島や満州にも足を延ばし、京城帝国大学の学生と交流するスナップも。また、商品の溢れる売店や市場、屋上喫茶室といった余裕ある病院内の様子、1931年に再建された大阪城天守閣などのカットも散りばめられ、大阪の活気を感じさせる。
一方、昭和天皇即位の儀式(1928年)関連のページ「菊花の香り」は一部特色刷りで、学生だけでなく大学全体を挙げた一大行事だったようだ。軍事教練や軍艦訪問の写真、寄せ書きでの「満蒙問題」への言及など、緊迫する社会情勢も見え隠れする。
「人類愛」を歌い、消えていった?医学部部歌
「大阪帝国大学医学部部歌」
アルバムには「大阪帝国大学医学部部歌」(作詞:北里闌 、作曲:山田耕筰)の歌詞と楽譜が掲載されている。現在の大阪大学医学部にこの歌の存在を知る者は見つからず、山田耕筰の楽曲一覧にも見当たらない。
作詞の北里は大阪医科大学のドイツ語教授で、あの北里柴三郎のいとこだ。『赤とんぼ』などで有名な山田は当時すでに人気作曲家だった。変ロ長調の明るいメロディをはずむようなリズムに乗せて「天職尊き医師(くすし)のつとめ」「生命の神秘を拓かん」「済生の偉業を果たさん」など医学への高い志を歌い、最後は「人類愛」の言葉で締めくくられる。国家主義や戦争という「人類愛」とは正反対の方向に突き進み始めた時代にあって次第に歌われなくなり、忘れられていった幻の歌が今、創立100周年を機に顔を出してきたのだろうか……。
アルバム委員 6人衆
アルバムの奥付には、「第1期生アルバム委員」として6人の名前が。(しかしなぜか7人並んだ写真の)編集後記によれば、大阪医科大学入学時から活動を始め、イベントがあるごとに分担し、授業の合間を縫って取材に走り回ったようだ。その1人は「編集を終へまして丸で妊婦の産後の気持もかくやと思はれます」と医学生らしい感慨を記している。
最初期の「阪大生」は、先端の学びと研究に打ち込み、大大阪時代の恵まれた環境を楽しんだ。その後、まさに激動・激変の「未来」を迎えるが、この社会をより良いものにしようとするまっすぐな「まなざし」は、100年後も大阪大学に受け継がれていく。
学生たちの真剣なまなざし 解剖学の授業風景
自由を謳歌できたエリートの記録
大阪大学アーカイブズ 菅 真城 教授
このアルバムは大正デモクラシーの自由な雰囲気から、次第に戦時色が強まっていく時代の転換点を記録した貴重な証言です。大学進学率が2〜3%の時代にあって超エリートの学生たちで、多くの授業風景の記録は珍しく貴重です。朝鮮や満州への旅行は当時のエリート層に一般的だったようで、帝国意識が社会通念だったことが分かります。張り紙を使った医学大会の研究発表の様子も興味深く、また医学部部歌は特筆すべき〝発見〟です。戦後の国立大でも「学部歌」がある例は珍しく、当時の医学生が抱いていた理想や、大学・医学部文化を考察する上で、高い史料的価値があります。
卒業生全員と教員陣
※ 本記事は、『大阪帝国大学医学部 第1期生アルバム』(大阪大学アーカイブズ所蔵/識別番号201000052)に掲載の文章・写真を使用しました。
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(※この記事は、2026年10月7日発行の 大阪大学NewsLetter 95号 に掲載したものです)