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湯川秀樹博士の直筆研究日記をホームページで初公開! 大阪帝国大学助教授時代の研究活動の記録が明らかに
●概要 このたび、大阪大学総合学術博物館湯川記念室と京都大学基礎物理学研究所湯川記念館史料室は連携して、湯川秀樹博士が大阪帝国大学助教授であった1938年の自筆の研究室日記「湯川研究室理論コロキウム記録」を、7月6日から各室のホームページ上で初公開しました。 湯川博士は1933年に大阪帝国大学理学部講師(兼任)、翌1934年には専任講師となり、1936年から1939年5月まで大阪帝国大学理学部助教授を務めました。この間、湯川博士は素粒子物理学の研究に従事し、中間子論を発展させました。特に、1934年11月中間子論第1論文を発表し、この研究成果により1949年、日本で最初のノーベル賞を受賞しました。 今回、湯川博士が記し残した研究史料を広く一般の方々に知っていただき、科学に対する興味を深めていただくことを目的に、京都大学基礎物理学研究所湯川記念館史料室に保存されている研究室日記のシリーズ15冊から、第1冊(s04-19-01)の前半をホームページに公開しました。 |
図1. 理論コロキウム記録の表紙
図2. 例:第15回理論コロキウムの記録の1ページ目。167号室にて6月18日午後1時30分より開催、集会者6人、武谷三男氏がFrohlich達の論文を紹介したとある。 |
●「湯川研究室理論コロキウム記録」について 今回公開した研究室日記の表紙には湯川博士の字で、「理論物理学 研究室記録(京大)」、「理論コロキウム 記録(阪大) 1938-1939 Ⅰ」と書かれています(図1)。このノート前半が大阪帝国大学助教授時代の1938年4月21日から12月23日までの31回分の研究室活動の記録になっています。 湯川博士は1939年5月26日に京都帝国大学教授に任ぜられ、京都帝国大学理学部物理学教室に転任しました。ノートの後半は転任してからの記録です。 |
表紙の最初の3行と最後の「(阪大)」「1939」「Ⅰ」の文字は、京都帝国大学転任後に書き加えられたものです。
また、ほかの研究史料(論文原稿、講演原稿、計算ノート、書簡など)の一部も本年秋以降に、同じくホームページ上で公開予定です。
「理論コロキウム」:研究室のセミナー、勉強会を湯川博士は「理論コロキウム」と呼んでいました。研究室のメンバー以外の人も参加していました。
公開ページについて
●大阪大学総合学術博物館湯川記念室ホームページは こちら
●京都大学基礎物理学研究所湯川記念館史料室ホームページは こちら