StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

■ 一歩踏み込んだ「起業家人材」の育成


工学研究科は、これまでも異分野との融合を図ってきた。2004年に経済学研究科と連携し、3年間で工学と経営学の修士学位が取得できるダブルメジャー制度を国内で初めて採用したBE専攻を設立。技術の知識と経営的センスを伸ばした新産業の担い手「イノベーション人材」の育成に注力してきた。20年にはBE専攻が事務局となり、工学研究科の全専攻に産学官共創コース(インターンシップ・オン・キャンパス型)を設置。企業からの出資でキャンパス内に設置されている研究所での長期の研究型インターンシップを単位や学位論文として認定する取り組みも進めている。

そんな中、今回の「アントレプレナーシップ型」は、一歩進んで「起業した人又は既に起業の準備が整っている人」が対象となる。カリキュラムはほかの産学官共創コースとそれほど変わらない予定だが、工学研究科には医工学、エネルギー・環境、エレクトロニクス、防災など多岐にわたる分野の専門家がそろい、事業発展のためにアドバイスを受けられるメリットがある。学位取得には通常通り論文の審査合格が必要だが、事業計画書を論文の一つとして認めるなどの措置も検討しており、事業と学業の両立をフルサポートしていく形だ。倉敷教授は「グループ演習などで、ほかの院生にお題を出す側としての関わり方もしてもらえるはず」と、周囲への波及効果も期待する。


■ ビジネスでは「博士号」=「信用力」


起業と博士号に何の関係が?と首をかしげる人もいるだろう。日本ではあまり知られていないが、海外では、スタートアップ企業のCEOらが博士号を持っていることがその企業の信用に直結するというシビアな現状がある。

そんな現実を痛感し、今年度、産学官共創コースからアントレプレナーシップ型へ転向して「1期生」になるのが、島藤安奈さん(博士後期課程)だ。20年9月に「株式会社ニューラルポート」を立ち上げCEOを務める起業家で、現在はVR機器やAIを使った視線計測型ストレスチェックシステムの開発・事業化を進めている。

島藤さんは「海外で戦うためにはマサチューセッツ工科大学などのトップクラスの科学者らと競い合う必要があり、信用の面からも博士号の取得はとても大事。実際、商談で学位を問われることは多く、『博士号を取得見込みだ』と伝えるだけで相手からの信用度が変わります」と、実体験を語る。一方で「日本では研究との両立は難しく、苦渋の決断で事業を優先して休学する人も多い。私自身、産学官共創コースに入る前は本当に悩みました」とも打ち明ける。一般的に国内で博士号を取る場合、研究室の取り組みへの集中を求められ、個人の研究をビジネスに結びつけることへの風当たりが強い側面がある。だからこそ、島藤さんは「自分のビジネスで学位が取れるというのは画期的」と期待を寄せる。

日本は、博士号の取得者が他の先進国と比べて少ないという課題を抱えている。文部科学省の「科学技術指標2024」によると、人口100万人当たりの博士号取得者数は126人(2021年度)で、英国など各国と比較して半分以下。今回の取り組みを、博士人材のハブ拠点化にもつなげていきたい考えだ。


■ 「金儲け」ではなく、社会に貢献する「夢」を応援

今回の取り組みについて、倉敷教授は「ビジネス・オン・キャンパス」(大学内での事業化活動)という新たな概念として提唱している一方、「ビジネスという言葉でお金儲けだけをイメージして欲しくはないんです」とも訴える。「ビジネスという言葉の本来的な意味は『するべきこと』。事業である以上、収益を上げることは必要ですが、世の中に貢献するという夢を持った熱意のある人たちを応援したい。事前面談こそさせてもらいますが、事業の内容・規模は問いません」と言い切る。学生時代に大阪大学の応援団に所属し、今でも部の顧問という立場ながら入学式などで学生に交じって活動する倉敷教授肝いりの仕組みだからこそ、経済合理性だけではない熱い思いが垣間見える。

島藤さんは発達特性を持つ人たちとの交流や研究を進める中で、視線の動きとストレスの関連性に目を付け、現在の事業にたどり着いた。人々のメンタルヘルスの安定のために役立てようと、多くの人に届けるための手段の一つとして博士号の取得や事業の拡大を目指している。「(少数派とされる)関西の女性起業家として、ユニコーン企業(設立年数が短く企業価値の高い未上場スタートアップ)を目指す」と志も高い。倉敷教授は「まさに島藤さんのような人に活用してもらいたい」と目を細める。

商人により開設された学問所「懐徳堂」の精神を引く継ぐ大阪大学。異分野融合・連携を率先してきた柔軟な発想で、博士人材輩出の新たな潮流を生み出す。

(本記事の内容は2024年9月発行の大阪大学NewsLetterに掲載されたものです。)

share !