阪大にも縁の深い日本最古の自動車メーカー
日本最古の自動車メーカーでもあるダイハツ工業の本社・本社工場は、大阪大学豊中キャンパスの最寄り駅、阪急電車石橋駅の西側にあり、阪大にとっても身近な企業だ。住所はなんと「池田市ダイハツ町1番1号」。広い敷地内に流れる川沿いの桜並木は、春には従業員の憩いのスポットになるという。
100年以上前の創業時から同社と阪大には深い結びつきがあった。国内工業の近代化が急務だった20世紀初頭の1907(明治40)年、内燃機関の国産化を目指し、大阪高等工業学校(現阪大工学部)校長の安永義章博士と在阪の実業家、岡實康たちが設立した「発動機製造株式会社」が同社の起こりなのだ。同年大阪駅の北約500m(現在の新梅田シティ)に本社事務所と工場を建設した。社名は51年、大阪の「大」と発動機の「発」をとってダイハツ工業に改称された。「まさに産学連携によって生まれた会社といえます」とオフィスサポートセンター 採用担当 主担当員の山田和弘さんは話す。
いつの時代も生活に寄り添うスモールカー
インタビュアーの中野聡美さん(文学部2年)と映像撮影担当の下田啓太さん(基礎工学部1年)は、まず本社ビルで山田さんから会社の概略について説明を受けた。低燃費実現への研究開発、インドネシアなど海外での需要に向けた生産販売、省エネ・省資源を柱に「お客様の生活にフィットした車を低価格で提供する」ものづくりの姿勢、さらにそうした「ものづくりのための人づくり」である社員教育。長い歴史と絶え間ない企業努力について聞いた2人は、さっそく、阪大出身の若手社員、今西えみさん(オフィスサポートセンター)と井阪和雅さん(開発部)を取材。入社の経緯や仕事のやりがいなどをインタビューした。
次に軽オープンスポーツカー「COPEN(コペン)」を生産しているコペンファクトリーに移動。清潔感のある機能的な空間で、機械ではなく手作業によりスタイリッシュな車が組み上がる工程やラフロード検査などを見学。
続いて、創業100周年を記念し2007年に開設した見学者用施設「ヒューモビリティーワールド」(2015年1月リニューアル)へ。小学生や一般の見学者を受け入れている同施設は、自動車開発の歴史を当時の世相と連動させながら分かりやすく展示。中野さんたちは昭和30年代に一世を風靡した軽三輪自動車「ミゼット」などを興味深く取材していた。
教材、講師、全て自前。ダイハツならではの人づくり
最後は、TQM推進本部グローバル教育グループ主査の本多匠さんに、車の現物を使って行われる社員教育の現場を案内してもらった。同社は2010年度から、新入社員教育を一新。事務系、技術系の区別なく全員を同じカリキュラムで約1年かけて教育している。使用されていない工場に設けられた教育センターでは現在の主力車であるムーヴと約40年前のフェローマックスを教材とした車の進化、また 車の分解や組立てなど、実際に手を汚してものづくりの原点に触れる研修を実施。加えて、製造現場や販売の第一線を実体験することで、商品である自動車や会社の全体像を深く理解させることが狙いだという。スローガンは「車全体、会社全体を理解し、成長しよう!」。講師は先輩社員が務め、教えることを通じての人材育成にも繋げている 。 また 、 ある程度経験を積んだ社員のフォローアップにも利用し、現在までに約2,000名が同センターで受講した。
数多くの自動車部品や車の構造・原理が見えるスケルトンモデルを前に、中野さんは「文系の私には難しい」と戸惑いながらも「文系理系関係なく1年もかけてさまざまな研修が行われているのは驚き。とりあえず私も運転免許を取りたくなりました」。また下田さんは「ふだん目にすることのない車の構造を見せていただき、興味深かったです。あらためて車ってかっこいいなと感じました」と話した。
INTERVIEW─ 先輩に聞く
─入社の動機を教えてください。
今西 日本の産業の中心は製造業だという思いがあり、ものづくりを通した社会貢献をしたくて、就職先は自動車業界か電機業界と考えていました。「出る杭」が好かれる、風通しのいい人間関係がダイハツ工業にあると感じられたことも決め手の一つになりました。また、人と接し、経営にもアプローチできるという点で人事職を希望しました。
井阪 ものづくりが好きで、多くの人に使ってもらえる製品を開発したいと思っていました。今後は、少子高齢化で小さな車の需要はさらに高まります。だからこそ、ダイハツ工業なら面白い研究開発ができると考えました。
─これまでにどんな仕事を?
今西 研修を経てグローバル人事部に配属され、人事制度企画や労働条件管理、労使協議の運営を担当しました。自分が関わった制度が人の役に立っていると、やりがいを感じています。配偶者のドイツ転勤に伴い2012年に一度退職し、2年後に両立支援再雇用制度を利用して再入社しました。その制度は実は以前に私が担当してできたもので、結果的には自分自身の役に立ちました。余談ですが、ドイツ滞在中、ヨーロッパ各地でダイハツの車が走っているのを見て、会社のグローバルな伸びしろを実感しました。
井阪 入社1年目は、約200人の新入社員全員で同じ研修に取り組みました。翌年、軽自動車タントのアンダーボデー開発に携わり、その後は新型車のアッパーボデー、ドア開発など車体設計を一通り経験しました。さまざまな条件の中で譲れない部分を突き詰めながら最適な車を作ることに喜びを覚えており、さらに深く、専門的に開発を進めたいと思っています。
─大学時代の経験で今に役立っていることは?
井阪 私はテニスサークルでテニスばかりしていました。練習コートを取るため、朝3時くらいに起きてテントを張りにいったり、試合に勝つために必死に練習したり。他大学の人と接する機会も多く、初対面の人とも緊張せずにコミュニケーションを取れるのは、当時の経験が役立っているからだと思います。
今西 同感です。私は混声合唱団に所属していました。約100人の団員がまとまり、ステージを成功させるためにはコミュニケーションが最も大事でした。合唱団での渉外活動の経験は今に生かされています。
─後輩へのアドバイスをお願いします。
井阪 まずは学生生活を楽しんでほしい。先ほどもお話ししましたが、他部署や仕入先との交渉で必要とされるコミュニケーション能力は、学生時代にサークル活動を楽しんだことで培われたと実感しています。
今西 私も同じ考えです。卒業後は60歳くらいまで働くのが基本ですから、学生時代はいい意味でおおいに遊び、楽しんだらいい。怖がらずに知らない世界へどんどん飛び込んでいけば、どんな経験も生かされると思います。
■ ダイハツ工業株式会社( 大阪府池田市ダイハツ町1番1号 )
1907年創業、日本初の6馬力吸入ガス発動機を製作。57年に軽三輪自動車「ミゼット」発売。「世界中の人々に愛されるスモールカーづくり」を使命として事業を展開、低燃費・低価格技術によりミラ イース、ムーヴ、タント、コペンなど人気車を発売し続け、日本の軽自動車分野をリードしてきた。インドネシア、マレーシアでも小型自動車を製造発売。今後はさらなる技術開発と海外展開を目指す。トヨタグループの一つ。大阪大学卒業生は約250名。
(本記事の内容は、 2015 年 3 月大阪大学 NewsLetter に掲載されたものです)