造船業でなく 、 日立グループでなく
「船をつくっていない日立造船です」との開口一番の言葉に、一同「ええっ」と驚きの声を上げた。個人経営の企業(大阪鉄工所)として造船、橋梁、プラント事業を展開しながら発展し、1943年に当時は日立製作所の傘下にあったことから日立造船株式会社に社名変更。ところが、戦後の財閥解体によって日立グループから独立スタートし、総合重工業系企業として発展してきたが、2002年に造船業を分離した。現在取り組んでいるさまざまな事業が、本社ロビーのパネル・映像ブースで展示・紹介されている。「グリーンエネルギー」「社会インフラ整備と防災」が2大柱となり、具体的には▷「ごみからエネルギーへ」の環境事業▷海水淡水化プラントや風力・太陽光発電などのプラント・エネルギー事業▷明石海峡大橋を始めとする橋梁やトンネルを掘るシールド掘進機などのインフラ事業▷船のエンジンや使用済み原子燃料の貯蔵容器などの機械・プロセス機器事業▷GPS海洋ブイやフラップゲート式防波堤などの防災事業─と多角的。これらの背景には、長年培った造船技術のノウハウが生かされている。
全国のごみ焼却施設を一括監視
本社には、遠隔監視・運転支援センターが置かれている。最新のごみ焼却施設は、運転データを遠隔からも管理できる仕組みになっており、このセンターは北海道から九州まで、計13のごみ焼却施設を管理する重要な部門だ。現在のごみ焼却施設は、ほとんどの機能が自動運転になっており、各施設にある中央制御室で集中管理している。また、最近では各自治体から運営を委託され、日立造船グループの職員が施設を稼働することもあるが、施設を建設した技術をバックグラウンドとして、このセンターでも大型スクリーンや何台ものディスプレーを通じて中央制御室と同様の環境を作り出し、24時間体制で見守る。各施設でトラブルなどが発生した場合、原因究明、対処方法などをアドバイスする。
このほか、社員食堂やリラクゼーションルーム、診療所なども案内してもらい、レポーター役の小野京香さん(外国語学部2年)は「まるで、(ビル全体が)一つの街みたい」と、目を丸くした。
人力も電気も不要 、 波の力で防波堤
続いて、主力工場である堺工場へ。防災システムの一環として、高潮や津波が発生した場合に人力も電気もなしで、波の力を利用する「フラップゲート式可動防波堤」を開発している。ビデオで仕組みを学んだ後、「災害時には停電している恐れがある。また東日本大震災では、水門を閉めに行って津波にのまれた方もいらっしゃった。そんな命を守ることが、私たちの使命だと考えている」との説明に、メンバーは感動にひたった。そして実際に、防波堤のデモンストレーションを行う実証試験も見学。波が流れてくると、その力によって自動的にゲートが立ち上がり見事に波を食い止めた。このシステムは、大きな港用だけでなく、会社、地下鉄、マンションなどで豪雨の時の浸水防止にも対処できる。
地下を掘り進むシールド掘進機
堺工場の主力製品の一つが地下社会を創造する機械「シールド掘進機」だ。大きなものは口径10㍍を超す。現在、世界最大のものは、堺工場で製造した口径17.45㍍のもので、建屋の中でなく、昔の造船ドックを活用して製造された。
シールド掘進機は地下に潜らせ、人間が中で操縦しながら地下鉄やトンネルなどを掘っていく。早いものは1日20〜30㍍も進むという。地盤沈下など、地上に影響が出ないようにする高い技術力を求められ、現在は陥没をミリ単位にまで抑えられる。
シールドの語源は「盾と矛」の「盾」。かつては、手掘りする人間を守る防護殻だったからだが、今では先頭部分にカッターヘッドを装備した掘進機の部分が岩盤を掘っていく「矛」の役目も果たしている。曲がったトンネルに対応できるものや、地下鉄における往復二つのトンネルと間のホームとを3本同時に掘れるマルチ型など、さまざまな機種を開発している。
ハイテクとローテクを駆使し
この見学でビデオカメラを回していた笹田智樹さん(経済学部1年)は「ハイテクとローテクが見事に組み合わさって、私たちの生活を支えてくれているんだなあと実感できた」、吉山仁望さん(基礎工学部3年)は「学部の先輩のお話も聞けたし、基礎工学がどうやって社会に役立つのかを目の当たりにさせてもらった」と、手応えを感じていた。
そして堺工場で最後、マイクを手に小野さんは「人の命を守る防波堤やシールド掘進機などの機械の大きさとつくる人の偉大さに感動しました」と締めくくった。
INTERVIEW─ 先輩に聞く
友人などの輪を広げて、幅広い視点を
─入社の経緯を。
基礎工学部で熱工学を学びました。漠然と「大きな物を作りたい」という思いを持ち、当時はダイオキシン問題などもあったので「これからは環境だ」と決意して、2000年に入社しました。入社以来、ずっと、ごみ焼却施設の設計にかかわっています。
─やりがい、つらい思い出の双方を。
設計といえばデスクに座って図面ばかり引くイメージがありますが、私はお客さんとの交渉、現地での試運転や不具合時の対応など、現場を多く体験しています。入社してすぐに岐阜県での新タイプの実証施設の運転に派遣され、2年目には責任を負う立場になりました。夜中にトラブルが起きた時は肝を冷やす思いもしました。でも、それらがいい経験となって、設計時には具体的な製品のイメージがわくので、早くに現場を経験できたことは良かったと思います。
─学生時代を振り返って。
もっと勉強すれば良かったなあ(笑)サークルなどにも入っていなかったので、友達は機械系ばかり。もっと輪を広げていたら、社会に出てからもいろんな視点をもてただろうし、社会のいろいろな情報を得ることにもつながったでしょうね。
─後輩へのアドバイスを。
自分のやりたい仕事に就けるのは少数。何でも楽しむつもりでいれば、常に学べるし、仕事にやりがいを持てるでしょう。学生時代に色んなことにチャレンジして人間の幅を広げてください。
■ 日立造船株式会社(本社=大阪市住之江区南港北)
1881年、英国人E.H.ハンターが大阪安治川岸に大阪鉄工所を創立。他の造船会社が官からの払い下げからスタートしたのに対し、民の力で造船業を興した。1943年、「日立造船株式会社」に社名変更。戦後に日立グループから独立し、総合重工業企業へ。2010年にスイスのごみ焼却施設の建設を手掛ける「AE&E INOVA AG(現Hitachi Zosen Inova AG)」、13年に米国の原子力関連会社「NAC International Inc.」の全株式を取得した。製作したシールド掘進機は約1250機(海外約120機)。資本金約454億円、工場は大阪、京都、広島、熊本、茨城などに7カ所。従業員数は連結約9000人、単独約3000人。大阪大学卒業生は、文系も含めて約100人。現・古川実会長兼CEOも1966年経済学部の卒業。「日立造船は社会に役立つ価値を創造し、豊かな未来に貢献する企業。やる気のある阪大生はどんどん来てください!」とのパワフルなコメントをいただいた。
企業URL: http://www.hitachizosen.co.jp/
(本記事の内容は、 2014 年 3 月大阪大学 NewsLetter に掲載されたものです)