高校から陸上競技に打ち込む井上さんは、阪大陸上部でも練習に励む一方、1年生の夏から体育会本部員として運営にも貢献。勉強、スポーツそして体育会活動と「3足のわらじ」、どれもおろそかにすることはなかった。
3年生になるころ、大きな峰をぼんやり意識しはじめていた。「自分が4年のときに、阪大が主管校になる。責任は重いが、7年に1度の機会を委員長としてやり遂げたい」。立候補して、その重責を担うことになった。そのため、3年次までに大半の単位を取得。教員採用試験の勉強も春休みに済ませた。そして今年は大会の準備から本番まで、全力投球している。
決して華々しい舞台ばかりではない。七大学の役員が集まる会合では、議長として意見をまとめる難しさを痛感した。競技運営の方法などについての議論。あらかじめシミュレーションをしてから臨んでも、そもそも論、価値観の違い、議論の脱線と迷走する会議を着地させるのが本当に大変だった。「でも、普通の学生では味わえない苦労、特別協賛として支援して下さる学士会のご担当者をはじめ、社会や大人と向き合う経験などが、僕自身を成長させてくれた」と、笑顔で話す。
吹田キャンパス陸上競技場が今年7月、人工芝に生まれ変わった。昨年の七大戦・開会式レセプションで、井上さんらが平野俊夫総長に「阪大生は頑張っているので、体育施設を充実してほしい」と〝直訴〟したことが、実った形となった。今年の開会式レセプションで平野総長から「私はやるだけのことはやった、今度は選手のみなさんが頑張る番だ」と返され、ますます発憤している。
陸上部の4年生は、七大戦が引退試合となるので、毎年感動的な幕切れを迎える。井上さんも、この3年間で着実にタイムを伸ばした400Mと、七大戦を運営したメンバーで組んだ4×400Mリレーに出場し、よい緊張感を味わいながら悔いなく走ることができた。運営と競技の両方で七大戦を楽しむことができ、ますますこの大会が好きになった。「後は最後まで運営に集中し、やり抜く」と決意する。
将来は、地元・三重の高校教師になるつもりだ。高校陸上部の顧問が、練習の合間に人生論を聞かせてくれたことが大きかった。「生徒の成長を手助けすることで、教師自身も成長していく」。その言葉が大好きだ。今大会の開催と平行しながら、教員採用試験を1次、2次と踏み越えてきた。大会の終わるころ、「合格」の朗報が舞い込むことを祈っている。「高校数学の教師として、陸上部の顧問として歩んでいくために、卒業までの半年間に自分の引き出しをいっぱい埋めていきたい。大阪大学という総合大学で学べることを誇りに、文系を含めたいろんな授業を受けて、自分を磨く」と、さらなる目標を掲げている。
(本記事の内容は、 2013 年 9 月大阪大学 NewsLetter に掲載されたものです)