StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

■留学先は微生物分野の「メッカ」大阪大学

幼少から成績優秀。小学校1年生でクラスでトップの成績を獲った際、頑張りを会社経営者だった父はとても喜び、お小遣いをくれた。努力を誉めてもらえたことが嬉しく、その後の原動力にもなった。「頑張った人には還元する」考えは、今に通じる哲学だ。

母国インドで「微生物」を研究する道に進み大学院へ。博士課程の途中で、誘いのあった企業に就職した。大学院生と会社員、二足のわらじをはく生活を続け、結婚し家庭も持った。30歳を超えた頃両立の難しさを感じ、留学して学位を取ることを決意。世界の数多ある選択肢から選んだ行き先は、日本の大阪大学だった。

1984年、準公用語が英語のインドから海外に出ると言えば、欧米が主流。だが、先輩から「これからは日本だ」と聞き、将来性に魅力を感じた。日本は国内総生産(GDP)がどんどん伸びて世界2位。加えて、大阪大学は世界トップクラスの発酵・微生物学の権威がそろっており「微生物分野のメッカだった」ことも後押しした。偶然にもインドの学会で大阪大学の教授に会う機会にも恵まれ、いよいよ日本行きを決意。微生物学を学ぶため、家族で大阪に来日した。

■「家族のような」優しさに支えられ

当初は、何もかもがカルチャーショックだった。見ず知らずの人と風呂に全裸で入る、生魚を食べる、医者、教師、政治家、みんな「先生」と呼ぶ。「わからない」を「わからへん」と言う。語学に限らず、知らない文化ばかりだった。

そんな困惑以上に驚き、感動したのが「人の優しさ」だったという。

「研究室は、もう家族のようでした」
大阪大学工学部の研究者たちは家族ぐるみの付き合いをしてくれ、世界各国から集まった留学生は熱心に研究に打ち込んだ。夕方になれば、鍋を作ってみんなで楽しむ。言葉が分からなくても、誰もが親切で、困難を乗り越えることができた。
ある日、夜中まで実験していると「奥さんのことは嫌いですか?」と尋ねられた。「いやいや、そんなわけないよって(笑)」。あまりにも家に帰らないものだから、不仲だと思われてしまったらしい。1年で360日働くと豪語するジュネジャさんらしいエピソードだ。担当教授の退官なども重なり、博士号は名古屋大学に移ってから取得したが、大阪大学で楽しみながら全力を注いだ歳月は「大きな財産になりました」。

■「出口を考えた研究」で、類を見ない昇進

研究者として頭角を現すのは、食品素材メーカーの太陽化学に入社後すぐ。会長から「世の中にないものを作れ」と言われ臨んだのは、完全栄養食とも言われる鶏の卵の研究。「生命に役立つ全てが入っているのではないか」と取り組んだ。

卵からインフルエンザの薬に使われるシアル酸の抽出に成功すると大きな反響があり、「このインド人は何かしてくれる」という期待感と共に昇進。その後もカテキンやテアニンなどお茶の成分で新しい価値を提示し続け、わずか7年で取締役研究部長になった。大事にしてきたのは「出口を考えて研究すること」だ。

「出口は商品を手にするお客さん。世の中の役に立たないと意味がない」。何もかもうまく進んだわけじゃない。お金になるか分からない研究を「金食い虫」と言われるつらさは知っている。だからこそ、商品化に向けた売り込みを自分でやり、海外でもプレゼンテーションをこなし、いつしか副社長にまでなった。その後も、ロート製薬で従業員の健康増進に取り組むCHO(最高健康責任者)を担うなど、チャレンジをし続けてきた。

■自分のやりたいことをやろう

挑戦の現在地が、亀田製菓を「唯一無二のグローバル・フード・カンパニー」にすることだ。日本がもつポテンシャルに確たる自信を漲らせる。

例えば、「食」の価値観。「カリカリ、ボリボリ」など食感を表す言葉は日本語が400個以上ある一方、英語は100個以下だといい「日本人は繊細。物作りで他の国は勝てない」と断言する。「亀田の柿の種も食べ出したら止まらないからね」。屈託なく自社商品を褒めるのは、日本のクラフトマンシップに惚れ込んだ本心だ。

「でも、問題はその価値が分かっていないこと」だという。今の日本を「コンフォートゾーンから抜け出せないでいる」と指摘する。安定はしているが、外に出て行こうとしていない。そう見えるのだという。

自社にも変化を起こそうと動く。全国の社員と会い、内定者にも「会社はあなたたちのためにある。世界にないものを生み出してほしい」と得意の笑顔で呼びかける。社員こそ価値を生み出す源泉だ。

事業では、コメがもつ可能性を説き、既存の米菓の価値を磨き上げるとともに、新しい価値のある米菓「ミライベイカ」を生み出す。グルテンフリーの米粉パン、アレルギーに有効なお米由来の乳酸菌、長期保存可能な食品など幅広い事業を国内外で展開し、世界80億人に「価値」を訴求し収益も追求する。

「誰かに言われたことでなく、自分のやりたいことをやる。その方が、楽しいでしょ?」

夢と笑いの現場で、社員とともにジュネジャさんの挑戦は続く。


■プロフィール

ジュネジャ・レカ・ラジュ
インド・ハリヤナ州出身。1984年、大阪大学工学部に留学。89年、名古屋大学大学院博士課程修了(生命農学研究科)。同年、太陽化学に入社。研究部長、国際部長を歴任し、2003年に副社長就任。14年にロート製薬で副社長兼CHOを担った。20年、亀田製菓に入社し副社長、22年6月から現職。好きな言葉は「魂を込める」。

(本記事は、2024年2月発行の大阪大学NewsLetterに掲載されたものです。)


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