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五、適塾をめぐる人々
八重夫人
洪庵の妻 八重は、兵庫県西宮市の北部名塩の医家・億川氏の出身で、洪庵が29歳にして大坂に適塾を開いたその年に17歳で結婚し、明治20年に亡くなるまで9人の子供(その他4人は早世)を抱えながら洪庵を支え、多くの塾生からも母のように慕われ、適塾を守り支えた人である。
中 天游
緒方洪庵が大坂で初めて蘭学の手ほどきを受けた蘭学者 中天游(1783~1835)は、大阪市西区靱に思々斎塾を開いていた。洪庵はここで医者としての一歩を歩み始めた。なお天游は医学のほかに物理学、天文学に長じており、究理(物理学のこと)の人としての評価も高い。