大阪大学の原点 適塾

大阪大学の原点 適塾

適塾創設175周年 緒方洪庵没後150年

2013年は、緒方洪庵が 適塾 を開いた1838年(天保9年)から数えて175年目、また、洪庵が1863年(文久3年)に54歳で亡くなって150年目に当たる二重の節目の年です。
適塾開塾は明治維新まで30年という、社会に閉塞感が漂い、天然痘やコレラといった得体の知れない恐怖に曝されていた時期でした。洪庵の学問は、蘭学に活路を求めた多くの若者を日本各地から引きつけ、そして大きく育みました。適塾で学んだ千人を超える門下生から、日本の近代化に大きく貢献した人物が何人も輩出したことは周知のことです。歴史に名を残す人々だけでなく、各地で教育や医療に携わった門下生たちが日本の速やかな近代化を支えたことも疑いのないことです。
当時の塾生たちの勉学の様子を、福澤諭吉は、「学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、(中略)時は何時でも構わぬ、ほとんど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。読書にくたびれ眠くなって来れば、机の上に突っ伏して眠るか、あるいは床の間の床縁を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。(中略)これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上にしようはないというほどに勉強していました。」と『福翁自伝』で述べ、近代医制、公衆衛生体制を整えた長與專齋(ながよせんさい)は、「塾中畳一枚を一席とし、其内に机・夜具其他の諸道具を置き、此に起臥することにてすこぶる窮屈なり。なかんずく或は往来筋となり、又は壁に面したる席に居れば、夜間人に踏み起こされ、昼間燭を点して読書するなどの困難あり。然るに毎月末、席換えとて輪講の席順に従い、上位の者より好み好みに席を取ることゆえ、一点にても勝を占めたる者は次の人を追退けて其席を占むることを得るなり」と『松香私志』に記しています。
適塾の建物は奇跡的に戦災を免れ、大阪北浜に現存し、一般公開されており、今も当時の雰囲気を漂わせ、塾生たちの志に思いを馳せることができます。

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