地に足をつける
子どもたちの歓声が聞こえます。一瞬の静寂、そして泣き声。どうやら一人、転んでしまったようです。
私の執務室の南側は、学内保育園児の格好の遊び場です。季節を問わず賑やかな声が聞こえてくるこのひと時が私には大切な時間です。
新型コロナウイルス感染症は、高等教育から幼児教育まで教育の世界を大きく変革させました。タブレットを介した教材提供や遠隔講義。情報科学を専門とする私も、教育のデジタル化がここまで急速に進展したことに驚いています。
情報科学的にみると、「デジタル」とは、0と1で構成された不連続な集合体です。鮮明なデジタル画像も拡大して見ると、色情報の極めて細かいドット集合体であることがわかります。一方「アナログ」は、絵の具のグラデーションのように、境界が曖昧で連続的なものです。
このデジタルとアナログの二つの絶妙なバランスが特に幼児教育期には重要なのではないでしょうか。
例えば、さっき転んで泣いていた子も、「痛い」だけでなく、「恥ずかしい」や「悔しい」という感情が渦巻いたことでしょう。それらアナログ状態に折り合いをつけて、また走り始めたようです。
子どもたちは、様々な体験で自己の拙いメモリを精いっぱいにアナログ処理しています。そして、自分なりに納得できたとき、その体験はデジタル情報として言語化され、コミュニケーションが始まります。
この言語化までのプロセスは時間がかかることもあるでしょう。デジタル技術は、それらを手助けするツールとして存在するうちはよいですが、「あなたの今の感情はこれですよね?」とヒトの複雑な感情を推測して簡単に介入処理してしまうことがあってはなりません。
新緑の中、薫風を感じつつ、代掻きを終えた田んぼに素足を入れる。冷たい水!と思ったら泥の温かみを感じる。次の瞬間、足は沈み始め、足指の間から泥がにゅるにゅると上がってくる。水が濁る。おたまじゃくしが脛に当たった!?どこまで沈むの?と思ったときに、スクっと田んぼに立てることを知る。どれほどに美しいデジタル画像でその場面を何度視聴しても、数秒の実体験に勝るものはありません。
実体験を伴った経験を土台に、デジタルの浮遊的な拡張世界をどう展開するか。これからの教育に携わる者の課題かもしれません。
*『幼児教育じほう』2022年5月号(全国国公立幼稚園・こども園長会)への寄稿