令和7年度卒業式・大学院学位記授与式総長式辞(2026年3月25日)

 本日、大阪大学から新たな一歩を踏み出そうとしている皆さん、大阪大学を代表し、皆さんの卒業、修了を心からお祝い申し上げます。
 また、この日までの長きにわたり、皆さんの勉学と研究を支えてこられたご家族・ご関係の皆様に、心よりお祝いと感謝を申し上げます。

 本日、皆さんの門出にあたり、大阪大学がどのような精神の流れの中で生まれ、育ってきた大学であるのかを、改めて共有したいと思います。

大阪大学は
町人の学問所として自由闊達な議論を育んだ懐徳堂、
実学をもって人を救うことを志した緒方洪庵の適塾、
近代産業と技術を支えた大阪工業学校、
そして世界と言語に向き合ってきた大阪外国語学校、
これら大阪の地に根ざした多様な学びの流れが重なり合い、形づくられてきました。

 本日は、その源流の一つである大阪外国語学校の卒業生であり、大阪大学の精神を最も深く言葉に刻んだ一人の作家の言葉から、この式辞を始めたいと思います。

「坂の上の雲」「竜馬が行く」「峠」「花神」「この国のかたち」などで知られる、歴史小説家・司馬遼太郎先生は、『洪庵のたいまつ』の冒頭で、次のように記しています。

「世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない。」
世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはありません。そして、だからこそ、私心を離れて夢を追い、社会のために何かを成し遂げたいと願う若者の姿に、大人は、そして人は、自然と心を動かされ、応援したくなるのです。

「洪庵のたいまつ」で描かれている洪庵とは、江戸末期の医師、緒方洪庵です。洪庵は、名を求めず、利を求めず、あふれるほどの実力を持ちながら、そのすべてを他者のために用いました。司馬先生は、洪庵の生き方を通して、学びとは何のためにあるのか、知は誰のためにあるのかを、私たちに静かに問いかけています。

 緒方洪庵は、1838年、この大阪の地に蘭学塾「適塾」を開きました。そこには身分や立場を超え、ただ「学ぶ」という一点において志を同じくする若者たちが、日本中から集まりました。畳一枚ほどの空間で寝起きし、辞書一冊を皆で使い、夜を徹して議論を重ねながら、互いに刺激し合い、必死に知を磨きました。大阪大学は、こうした精神を源流として、長い歴史の中で数十万人に及ぶ卒業生を社会へ送り出してきました。その卒業生たちは、学術、産業、医療、文化、外交など、さまざまな分野で社会を支えています。今日この場にいる皆さんもまた、その長い系譜の新たな一員として、歴史に名を連ねていくことになります。

 大阪大学は、「地域に生き世界に伸びる」というモットーを掲げています。
 
その時々の社会が直面する課題に、地域の現場から真正面に向き合い、その解決を通じて社会に、そして世界に貢献してきました。地域に根ざした実践と、世界に開かれた視野――これこそが、複数の源流を持つ大阪大学ならではの姿です。この姿勢は、皆さんが勉学や研究にとどまらず、社会の一員として責任を果たす存在であることを意味します。地域に生きるとは、目の前の現実から逃げず、人々の声に耳を傾け、課題を自分事として引き受けることです。そして世界に伸びるとは、そこで得られた知見や経験を普遍化し、国や文化の違いを越えて共有し、より大きな価値へと高めていくことにほかなりません。大阪大学は、こうした営みを積み重ねることで、社会から信頼され、世界から必要とされる大学であり続けてきました。

 その歩みを、少し具体的に振り返ってみたいと思います。
 
大阪大学が設立された1930年代、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、一時は東京を上回る人口を抱える、日本有数の産業都市でした。一方で、「食の文化」を誇る都市であったことから、食の衛生問題による食中毒の多発や、人口密集の中での結核の蔓延といった深刻な社会課題にも直面していました。こうした課題に真正面から向き合うために設立されたのが、大阪大学の微生物病研究所です。その研究の流れの中で、世界的に知られるワクチン生産を担い、大学発スタートアップの先駆けとも言える微研財団が誕生しました。さらに、猛威を振るっていた結核という切実な社会課題に向き合う中で、病原体と生体防御の関係を根本から理解しようとする研究が積み重ねられ、世界に冠たるわが国の免疫学の礎が築かれました。
 その流れの中から、生命科学研究の金字塔とも言うべき IL-6 というサイトカインが発見され、さらに病に苦しむ世界中の患者さんに福音をもたらす、わが国で最初の抗体医薬の開発へとつながっていきました。昨年は、大阪大学の坂口志文先生がノーベル生理学・医学賞を受賞され、また直近では審良静男先生が Japan Prize(日本国際賞) を受賞されるという快挙が続いています。こうした世界に冠たる大阪大学の免疫研究も、その源泉をたどれば、社会の切実な課題に真正面から取り組んだ世のために尽くした先人たちの努力に行き着きます。

 社会の課題に向き合う中からこそ、普遍的な学問が生まれ、やがて世界を変える成果へと結実する――そのことを、大阪大学の研究の歴史は雄弁に物語っています。
 
近年に目を転じると、昨年開催された大阪・関西万博は大成功を収めました。
その会場には、アンドロイド、培養肉、iPS心臓など、珠玉とも言える大阪大学の研究成果が数多く展示され、未来社会の姿を世界に示しました。
 実は、1970年の大阪万博も、吹田・千里の地で開催されています。太陽の塔を象徴とするこの万博で問われた地域課題は、「いかにして膨大な人々を安全に運ぶか」というものでした。その解決のために、世界で初めて北千里駅に自動改札機が設置されましたが、これは大阪大学の研究成果を社会実装したものです。そして今、AIやデータ社会の進展の中で、次の時代を切り拓く技術として期待されているのが、量子コンピューターです。大阪大学には、世界有数かつ最大規模の量子研究者集団が集い、世界の最前線に立っています。
 これらはいずれも、「地域に生き世界に伸びる」大阪大学の真骨頂です。世のために尽くす大学としての矜持、そして阪大スピリッツそのものです。これは、皆さんにこれからも持ち続けてほしい阪大のプライドです。

 社会に出ると、努力がすぐに成果として評価されるとは限りません。
 
私自身も、思うようにいかない時期を何度も経験してきました。しかし、失敗や遠回りの中でこそ、判断力や人間理解が磨かれ、それが次の成功の土台となります。また、隣にいる仲間や周りの人々が、どのような思いで仕事に取り組んでいるのかにアンテナを張ることは、必ず将来の自分の糧となります。人のために考え、人の役に立とうとする姿勢を持ち続けていれば、必ず誰かが見ていて、必ず誰かが応援してくれます。一方で、自分の出世やキャリアアップだけを考えている人に、手を差し伸べたいと思う人は多くありません。他者を思いやり、他者のために力を尽くす姿勢は、時間をかけて信頼を生み、その信頼がやがて大きな支えとなって、皆さん自身のもとに返ってきます。洪庵が示した生き方は、まさにそれでした。

 大阪大学は、皆さんを誇りに思います。大阪大学で学んだこと、そして、この先社会で生きていく中で学んだことを、どうか、自分のためだけでなく、誰かのために使ってください。

 皆さんこそが、この大学の歴史と精神を受け継ぎ、「たいまつ」を次の時代へとつないでいく人たちです。
 
皆さん一人ひとりのこれからの歩みが、やがて社会を照らす新たなたいまつとなることを、私は心から信じています。

 皆さんの前途に幸多からんことを祈念し、私からの式辞といたします。
 本日は、誠におめでとうございます。 

令和8年3月25日
大阪大学総長
熊ノ郷 淳

■式辞全文PDFは こちら

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