「いのちと医学 -大阪大学の歴史とともに」 —大阪国際サイエンスクラブ第49回通常総会記念講演 (2012年6月19日)

諸行無常

私は昨年 8 月に大阪大学総長に就任しました。これまで免疫学者、医学者として、「生命科学」に関わって過ごしてきました。今回は生命科学者の立場から「いのち」について、皆様と一緒に考えたいと思います。

137 億年前に宇宙が誕生し、地球は 46 億年前に誕生したと言われています。生命は 40 億年前誕生しましたが、人類の誕生は 200 万年前と言われています。そして、我々の人生は 80 年です。

人生 80 年は生命の歴史からみますとわずか1億分の2にすぎません。一瞬のいのちにすぎないのです。織田信長は本能時の変で、敦盛の一節、「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」を舞いながら亡くなったとされています。 鴨長明 の『方丈記』には「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。~朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。」とあります。人生とは夢のようなもので、生あるものは刻々と変化し、必ず死に至ります。諸行無常の世界です。人間は如何にもがいても「老・病・死」は避けられず、この限られた命を如何に生きるかが問題です。

では、生命科学の世界から「いのち」を考えてみましょう。ご存知のように私たちの体は1個の受精卵に由来する 60 兆個の様々な細胞で構成されています。受精卵は分裂を繰り返し増殖して神経、皮膚、筋肉などに分化し、人間の体を形成します。生き物は常に変化しています。昨日の自分と今日そして明日の自分は違います。例えば皮膚細胞の寿命は 28 日です。今の皮膚は 28 日前の皮膚と同じではないのです。小腸の上皮細胞の寿命は2~5日、骨でも3ヶ月です。この様に、人間は日々変化し老、病、死を経て最後は、原子に戻ります。生命を形成している細胞は分子から出来ています。また分子は原子でできているのです。生命は死により原子に戻ります。生命は宇宙の星の成分である原子からでき、死により原子に戻るというのが、生命科学の見方です。

万物は流転すると言われるように、 すべてのものはとどまることなく、移り変わるということです。生命も刻々と 変化しています。皆さんは、今、この瞬間を生きているのです。人類が誕生してからですら既に200万年の時間が経過しています。この長い人類の歴史の中で、今この瞬間皆様が私の話を聞いておられる。これは奇跡にも近い事です。まさに一期一会です。だからこそ、今のこの瞬間を大事にする必要があります。

免疫と「いのち」

1900 年の日本人の平均寿命は 44 歳でありました。その後急激に伸び、 100 年後はその倍近くになり日本は長寿国の仲間になったのです。この100年間で日本だけではなく世界中で平均寿命が伸びました。その理由は、新生児の死亡が減った事等に加えて、感染症を克服できたことが長寿命化の要因の一つだと考えられています。 100 年位前までは、コレラ、肺炎、ペスト、結核などの感染症が死因の上位を占めていました。今では癌、心疾患、脳血管疾患などが死因の上位を占めています。なぜ、こうなったかと言いますと、①ワクチンの発明②病原微生物の発見③ペニシリンなどの抗生物質の発見などにより、人類は感染症を制御出来るようになったからです。このなかでワクチンの発明、乃ち免疫学の進歩は大きな貢献を果たしました。

免疫というのは一度伝染病にかかったら、二度とはかからない現象です。免疫が戦争の勝敗を決めたこともあります。紀元前五世紀のギリシャとカルタゴの戦争で免疫が勝敗の分かれ目になりました。その当時カルタゴ軍がギリシャ植民地を次々と攻略していましたが、シチリア島のシラクサの攻防戦は二度にわたる激しい戦争でした。カルタゴ軍とギリシャ軍とのはじめの戦いでペストが発生し、両軍とも大きなダメージを受けカルタゴ軍は撤退しました。
それから八年後、カルタゴ軍は再びシラクサを攻撃しました。しかし、再び戦線にペストが流行したのです。このときギリシャ軍は八年前のペストを経験し、生き残っていた年老いた兵士でしたので、ペストに対し免疫がありました。一方裕福なカルタゴ軍は新しくペストの経験のない若い兵士で部隊を編成したのですが、免疫力がなくペストの大被害で敗退したのです。

予防注射は人為的に免疫をおこす方法です。 1796 年、イギリスのジェンナーが天然痘の予防注射を発明、これが全世界に普及して 1979 年世界保健機構が天然痘撲滅宣言をしました。大阪大学の原点は緒形洪庵が 1838 年に大阪に開設した適塾です。緒方洪庵はその後適塾内に除痘館を開設し、日本における種痘(天然痘の予防注射)の普及と啓蒙活動に取り組みました。江戸幕府公認の最初の種痘法治療所として認められたのです。その後東京お玉ヶ池にも種痘所が設立されました。この種痘所が発展して 東京大学医学部 になりました。このように種痘所は日本の医学の原点です。

このように人類は天然痘などの伝染病を克服して来ました。免疫は感染症などからの生体防御に必要ですが、移植臓器の拒絶反応、自己免疫疾患(関節リューマチ、全身性エリテマトーデス)及びアレルギー疾患(スギ花粉症、アトピーなど)など、人にとって不都合なことにも免疫反応が関与しており、我々の人生に様々な影響を与えます。

免疫は自己と非自己を識別できるシステムであるとも言えますが、免疫応答における自己と非自己は絶対的なものではなく、免疫反応の制御が狂うと、本来の自己も免疫システムの標的になります。免疫応答が体の組織、例えば関節組織に対して起こるとヒトの体が免疫により攻撃されます。この状態が自己免疫疾患であり、いわば内部崩壊的な病気です。

免疫というものは目に見えません。赤ちゃんが五体満足で生まれて来ても、遺伝子の欠損で免疫機能がない場合があります。生まれながらにして免疫が機能しない状態、乃ち先天性免疫不全の状態です。このような赤ちゃんは生後間もなく重篤な感染症を繰り返し死に至ります。エイズは免疫機能そのものを破壊する病気です。臓器移植では拒絶反応を抑えるため、免疫抑制剤を与えるのですが、免疫抑制剤が少ないと移植臓器が免疫応答により拒絶されますし、多すぎれば免疫不全になり、感染症の恐怖にさらされます。人は免疫がなければこの世では生きてはいけないのです。老とともに免疫機能は弱って来ますが、元気に老年期を過ごす為には免疫力を高める事は大変重要です。

不老不死

生あるものは必ず死ぬ。では移植医学や再生医療により永遠の生命を実現する事が出来るでしょうか?

大阪大学医学部附属病院は日本における臓器移植では常に指導的役割を果たして来ました。日本で脳死による心臓移植を最初に行ったのも大阪大学です。心臓、肺、肝臓、腎臓、小腸の5臓器を同時に移植できるのは、日本国内で大阪大学のみです。先週も、日本で初めて幼児の心臓移植を行いました。

大阪大学医学専門部出身の手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」は主人公が天才的な高度な医療技術を駆使して繰り広げる空想的な物語です。その中で脳移植について描かれた話があります。南の島に住む画家が、原爆実験で被ばくしてしまうのですが、どうしても絵を完成させたいとブラック・ジャックに頼みます。ブラック・ジャックは交通事故で死んだ別の人の身体に画家の脳と心臓を移植します。画家の脳は全く別人の体をかりて生きながらえることになります。こうして画家の脳は最後の力を振り絞って絵を完成したのです。しかし、最後には画家の脳は腫瘍に冒され死んで行きます。では、この脳移植にどのような意味があったのでしょうか?ブラック・ジャックはその画家が絵を完成したいという「思いを遂げること」に意味があったと言います。また、ブラック・ジャックは死にゆく恩師を手術して助けようとしますが、医学の限界を思い知らされる結果に終わります。いずれも、いのちとは何かを考えさせられます。

では、今注目されている再生医僚は、ブラック・ジャックを超えられるのでしょうか?ブラック・ジャックは再生医療で人間を創成しました。奇形嚢腫かから出来た心臓や肝臓などの人体の臓器(部品)をプラスチック容器に入れてピノコという女の子を誕生させたのです。もちろんこれは空想の世界です。しかし、現在の発生学・再生医療の発展により、人類は試験管のなかで自由に人体の部品を作り出す方法を手にいれました。これらの再生医療で得た神経細胞心筋細胞等の人体の部品や、人工心臓や人工網膜、あるいは既に実用化されている人工関節などの人工の臓器を組み合わせて行けば、近い将来、人の体の全てを再生医療で得た臓器や様々な人工臓器に置き換える事が可能になるかもしれません。神経幹細胞を使用した再生医療は痴呆の治療に使われるでしょう。さらに脳が永遠に生きる事を可能にするかもしれません。かくして人類は永遠の生命を手にするかもしれません。

生あるものは必ず変化するということを言いました。もし人類が永遠の命を得たとしても、人工臓器以外の部分、再生医療で構成されている部分は常に変化します。1000年生きたとすれば、全く異なる物になっています。他人の幹細胞を使用した再生医療で出来た体の部品は遺伝情報も本人のものではありません。脳細胞も他人のものに置き換わって行きます。当然のことですが、その人が生まれながらに有している性格や病気になりやすさなど、両親から受け継いだ遺伝情報は他人のそれに置き換わっていきます。人工臓器はもちろん人工のものでしかありません。これで永遠の生命をえたことになるでしょうか?

生きるとは

私は、恩師で、元大阪大学総長の山村雄一先生の言葉、「夢みて行い 考えて祈る」を常に胸に抱いて今日まで生きて来ました。また私の短い人生経験のなかで、「目の前の山に登りきる」重要さを体験して来ました。どのように低い山でも目の前の山を登りきることにより、今まで見た事もない景色を、次に進むべき道が展望出来ます。 100 回登って途中で引き返せば、新しい景色を見る事ができません。一度でもいいから頂上に登ることです。しかし人生の山登りでは、標識がなく今自分が何合目にいるのかさえわかりません。登りきるまで頂上がどこかはわからないのです。しかし頂上は一歩一歩、その瞬間を必死に登る人にのみ突然目の前にその姿を現します。40年近く毎日を必死で研究に打ち込んできました。幸い免疫反応で重要な役割を果たしているインターロイキン6を発見することが出来、スウェーデン王立科学アカデミーのクラフォード賞や日本国際賞などの受賞の栄に浴しました。しかし、人生は良いことばかりではありません。

60 歳の還暦の祝いをしてもらった年に人間ドックを受けましたら、精密検査をするように言われました。肺にがんが見つかったのです。幸い転移していなかったようでした。左の肺の 60 %を切除しましたが、60にして、天から命を授かった思いです。手術を受けて、「看護師の一燈の温かさ、医師の一燈の強さ」を思い知らされました。「我が一燈を信じ、一燈を迷わず」、これを天命と思って、新たなる人生を今までお世話になった大阪大学のために捧げようと思いました。

適塾に学んだ福沢諭吉の言葉、「無意の人は如意の人」は私が大変好きな言葉です。無意、無心になれば、必ず物事が成就する、如意の心境になれるという意味です。一燈を提げて暗闇を行くことができます。

すい臓癌だったスティーブ・ジョブズは「毎日を人生最後の日であるように生きればいい」と語り、 100 歳の日野原重明医師は「私には余生はない、いつも現役である」と言います。恩師の山村雄一元総長からは「樹はいくら伸びても天までとどかない それでも伸びよ 天を目ざして」という色紙をいただきました。

人類の歴史200万年という気の遠くなるような長い時間軸の中で、私たちが今、この時に存在すること自体が奇跡です。少しでも歴史の歯車が異なっていたら私たちは今この地球上には存在していません。こうして今、みなさんが私の話を聞いている事は奇跡です。今、この一瞬「みなさんが、私が、ここに生きている」のです。これは奇跡という以外に何ものでもありません。

この奇跡的な命、必ず終わりのある命、このかけがえのない命、この“いのち”を大切にしなければならないのです。今の一瞬の積み重ねである「いのち」、この一瞬を必死で生きなければなりません。この一瞬が全てなのです。

人間必ず死ぬ、必ず歳をとります。癌に罹患したとき人々が恐怖を抱くのは、癌に対してではなく、死に対する恐怖です。癌を克服しようとするのではなく、「癌と共に生きる」、癌と共生することを考えることにより、心安らかな人生を送ることができます。心豊かな人生を送ることができます。同様に、病気や老いを克服しようとすると心が乱れます。病気や老いに向き合い、それらと共生することです。如何に今の一瞬を生きるのか、如何に生き抜くのか、それが重要です。宇宙の長い歴史から見れば人のいのちはほんの一瞬です。結局のところ我々のいのちは原子から原子に戻ることだということです。自然災害に対しても戦々恐々と生きるのではなく、自然と共生する気持ちをもつことです。 1 万年に 1 度の津波に備えようとすると膨大な労力とお金がかかります。自然を完全に克服する事は不可能です。自然災害などの自然と率直に向き合い、それらと共生して生きるという気持ちが大事ではないでしょうか。

若い時は病気にもならず、元気で過ごせても、老化とともに癌などの病にかかります。体は刻々と変わっていきます。今日の私は昨日の私と同じではありません。免疫力も歳とともに衰えて行きます。免疫力が衰えると様々な感染症にもかかりやすくなります。癌も進行しやすくなります。昔は癌になる前に感染症などで死んだのですが、今は寿命が延びた結果、多くの人が癌にかかるようになりました。

老・病・死を真摯に見つめ、今というこの瞬間を生き抜きましょう。人生は今、この瞬間を生きている「一期一会です」。

大阪大学未来戦略———22世紀に輝く

司馬遼太郎は、著書『花神』の冒頭で、適塾は大阪大学の前身、緒方洪庵はその校祖であると書いています。大阪大学は、大阪府民や財界の寄付等、府民が熱望して1931年に我が国で第6番目の帝国大学として創設されましたが、その原点は1838年に緒方洪庵が設立した「適塾」です。適塾には、日本全国から、福沢諭吉や橋本左内、大村益次郎、佐野常民、長與専斎ら 1,000 人近い塾生が集まり日本の近代化に貢献しました。洪庵に学んだ手塚良仙(3代目)は手塚治虫の曽祖父です。手塚治虫の遺作となった漫画『陽だまりの樹』はフィクションも含んでいますが、良仙の伝記です。その手塚治虫は大阪大学医学専門部を卒業した医師ですが、生涯「いのち」の意味について考え「火の鳥」や「ブラック・ジャック」などの作品を世に出しました。

適塾の精神“人のため、世のため、道のため”は大阪医学校や大阪医科大学などを経て、本学に脈々と受け継がれています。この間、「地域に生き世界に伸びる」をモットーに大阪大学は我が国の代表的な研究型総合大学に発展して来ました。さらに大阪大学を世界で10指にはいる学問と教育の世界的拠点とするとともに、高い倫理観を保持した優秀なグローバル人材を育成するという志を持って、大阪阪大学未来戦略 (2012-2015) ———22世紀に輝く、を策定しました。

大阪大学は、高度先進医療や産学連携の拠点として、引き続き社会に積極的に貢献して行きます。さらに、「何が物事の本質であるか」を見極める能力を有した人材を育て現代社会に貢献するとともに、人類の未来を切り開いて行きます。また本質に迫る基礎研究を積極的に推進することにより、人類の未来に貢献して行きます。社会が大学に求めているのは、知的創造活動としての基礎研究の推進であり、それに基づいた産学連携・社学連携であります。大学でしかできない基礎研究や学問に基づいた教育を推進していくことにより、社会の発展と心豊かで平和な社会の実現に貢献するとともに、教育・研究のあり方について積極的に提言・実践していきます。

かつて適塾に全国から 1,000 人の若者が大阪に来て学び、彼らが新しい時代を切り拓きました。大阪大学は現代の適塾として新しい時代を切り拓く存在となりたいと思います。 2031 年5月1日、大阪大学は創立 100 周年を迎えます。その時、大阪大学は、世界で10指に数えられる研究型総合大学として輝いています。キャンパスには世界中から集まった学生、研究者や教職員が溢れ、日本語は勿論のこと様々な言語が飛び交い、「留学生」という言葉があったことも昔話のようになっています。世界に冠たる研究大学として学界をリードするとともに、卒業生は教育研究機関をはじめ、グローバル企業や国際機関など世界各地の様々な分野で活躍しています。

この大阪大学未来戦略を実現するために大阪大学未来基金を募っています。物事の本質を見極め、世界に羽ばたく --- 大阪大学の輝く未来に皆様一人一人の温かいご支援のほどをお願いいたします。引き続き大阪大学ホームページ( www.osaka-u.ac.jp )にご注目ください。

share !