米田 眞理子さん(1972年薬学部卒業)
▲ 関西圏に薬局グループを展開する米田さん
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薬学部を卒業後、薬剤師として働き、その後、自ら創業した薬局グループの代表取締役を務める米田 眞理子(よねだ まりこ)さんは、薬剤師の職能向上と地域医療の貢献に取り組んでいます。その一方で、国内外でさまざまな社会奉仕活動を行い、数々の団体の理事を務めるなど、八面六臂の活躍をされています。奉仕活動はもちろん、仕事に対しても感じられるのが、思いやりに満ちた心。阪大出身者には「あふれる才気を生かし、夢を持って世のため人のために羽ばたいてほしい」と呼びかけます。
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「漢方」にひかれ薬学の道へワンダーフォーゲル部で山と自然を楽しむ
米田さんが薬学の道を目指したのは中学生の頃。植物や花が好きだったことから、その根や茎が材料となる漢方に興味をもったことがきっかけでした。自宅から通えること、キャンパスの雰囲気、それが大阪大学薬学部を志望校に定めた決め手となりました。
さあこれからと大学生活に胸躍らせる1年生の1968年、大阪大学でも学生運動が激化。講義もストップしたため、趣味などそのときできることを楽しんで過ごし、数ヶ月後にようやく封鎖は解除されました。
その後の大学生活では、学業に励む傍ら、登山を楽しむワンダーフォーゲル部に所属。部員はおよそ60名の大所帯だったそうです。「長野県の戸隠山や富山県の立山をはじめとする信州の山々など、随分いろいろなところに連れていってもらいました。一番思い出深い山は三重県の御在所岳。紅葉の頃に行ったのですが、先日テレビで紹介されているのを見て、ちょっと懐かしかったですね」。
▲大学時代を振り返り、貴重な思い出を語ってくれました
薬剤師の職能向上を目指し、「働きやすい」調剤薬局を開局・展開
1972年、薬剤師国家試験に合格するとともに大学を卒業し、大阪大学医学部附属病院薬剤部で研修生として勤めた後、専業主婦に。子どもの幼稚園入園を機に、育児をしながら働くため、そして「患者様と直接話せる薬局を開局する」という薬剤師になったときからの夢を叶えるために、薬剤師として勤務するのではなく、自宅近くでの薬局開局を選びました。以来、40年にわたって調剤薬局・在宅における訪問服薬指導を中心に事業を拡大。関西圏に約30店舗の「地域密着型調剤薬局」を展開し、地域の人々の健康を支えています。
現在は主に人事業務を担い、シフト表のチェックやスタッフの面接・異動管理などを行っています。また、スタッフからの悩み事相談も、現場経験のある米田さんのもとに直接届きます。最近はカスタマーハラスメントの相談も増えており、一緒に対策方法を考えています。
薬局の狭くガラス張りの調剤室は、金魚鉢にも例えられ、働く人同士に摩擦があると働き続けるには厳しい職場だといいます。だからこそ「少しでも長く働いてもらいたい」と、一人ひとりに目を配り、子育てや介護といった事情を抱えるスタッフも働きやすい環境づくりに取り組んできました。立ち仕事が多い職場で、「10分でも横になれれば楽になる」というスタッフの声を受け、休憩室に仮眠スペースを設けた店舗もあるそうです。
また、「薬剤師になってよかった!」と思ってもらえるように、数年前に給与体系を見直し給与水準を上げたところ、大変喜ばれたそうです。
そうした努力が実り、近頃ではすでに働いている若手薬剤師が、同級生をスカウトしてくれることも増え、若い薬剤師が着実に増えていくという好循環が生まれていると言います。
一方で、薬剤師を取り巻く環境は、大きく変化しています。大阪大学でも薬学部は2019年度より6年制を導入。制度変更にあたり、当時の薬学部長に呼ばれ意見を求められたこともありました。医療技術の高度化は目まぐるしく、薬剤師に求められる資質やスキルなどは年々高まっているのが現状です。ですが「薬剤師はやりがいのある仕事。夢を持って挑んでほしい」と後輩たちに温かいエールを送ります
▲各店舗のシフト表をチェックし、全店から届くメールにも目を通す
日本で2人目の女性ガバナー「奉仕活動はライフワーク」
40代の頃に推薦を受けて入会し、その後ライフワークとして精力的に取り組んでいるのが、国際的な奉仕団体である「国際ロータリー」での活動です。
奉仕活動のために最初に訪れたのはインド。識字率が低く、ポスターを貼っても人が集まらないため、子どもたちがいる場所へこちらから出向き、ポリオの生ワクチン投与に医師とともに回ったと振り返ります。
単年度で交代となる役員・会長を務め、2010年には大阪南部・和歌山県地区内すべてのロータリークラブを監督・支援するガバナーに選出されました。1989年に初めて女性の入会が認められた国際ロータリーにおいて、米田さんは日本で2人目の女性ガバナー。活動内容を鑑みて、国際的には1人目として扱われているそうです。
その後も、バイタリティあふれた活動は続きます。「先進国が発展途上国を助けるのは当然の義務」との思いで、日本で使われなくなった消防車や救急車の寄贈や、留学生への支援など、多岐にわたる活動を行ってきました。特に、支援した学生たちがそれぞれの夢を叶え、活躍している姿は自分自身の励みにもなっています。
国際ロータリーでは毎年異なる国で国際大会を開催しており、2016年に韓国で開催された際の分科会では「女性会員を増やすにはどうしたらよいか」をテーマに、2019年にドイツで開催された国際大会では「国際ロータリークラブを活性化していくにはどうしたらよいか」をテーマにモデレーターを務めました。韓国の際にはあまり告知がされていなかったので、ドイツではポケットティッシュに案内を入れて配ったそうです。結果500人ほど集まり会場が満員になりました。そして、2025年にカナダで開催された国際大会では、時間と才能を奉仕に捧げたとして、世界で60人が選出された「超我の奉仕賞」を受賞。米田さんにとって2度目の受賞となりました。
地域の社会貢献活動の一環として、自治体や社会福祉協会などと連携して行われるイベントを支援したり、職務を生かしてNPO法人や医療法人社団の理事を務めたりするなど、活動は枚挙にいとまがありません。
米田さんは「本業とロータリーの活動が両輪となっており、ロータリーから助けられることも多く、互いが励みになっています。本業が成功していないと人助けはできません。そのためにも本業を頑張りますし、生涯、奉仕活動を続けたいと思っています」と語ります。
▲ ドイツ・ハンブルグ国際大会の分科会でモデレーターを務めた米田さん(左)=2019年
「10年前の努力が今の自分に」世のため人のために活躍を
40代から国際ロータリーに所属し、50代から薬局グループを展開。まるで10年サイクルで新しい目標に向かってチャレンジしているように見えますが、「偶然の回り合わせ」なのだそう。ただ、大学時代に受けた講義の中で聞いた先生の言葉が今も印象に残っているといいます。「『今の自分は10年前の自分の写し鏡』だと。今、頑張っていることが10年後に報われる。当たり前のことですが、そのとおりだと感じています」。
今後の抱負について尋ねると、「今は高齢者施設等への服薬管理指導が主力となっていますが、若い薬剤師たちを育てるために、自分たちのペースで店舗数も増やしていきたいですね」とほほ笑みます。「みんなが喜んで働いてくれるのが何よりうれしい」と、業務以外にも、食事会や忘年会、新年会などを行う際には、自らが率先して企画内容を考えたりするという、“イベント好き”の一面ものぞかせていました。
「大阪大学出身であることは誇らしい」と語る米田さん。在学生や卒業生・修了生には「優秀な方が多いので、世のため人のために頑張ってほしい」と熱い期待を寄せます。