髙 康治さん(1962年大阪外国語大学卒業)
▲ 自宅公開する「世界の人形館」で80歳を迎えた高さん
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名刺の肩書は「ワールド・トラベラー」。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)を卒業した髙 康治(こう やすはる)さん(85)は、米国の旅行者からこう命名されたにふさわしく、50年以上をかけて275カ国・地域を巡ってきました。三井物産勤務でまさに世界を駆け巡って日本の経済成長に貢献しただけでなく、プライベートでも北極・南極を含めて見聞と人の輪を広げてきました。そして、千葉県我孫子市の自宅を「世界の人形館」として2009年から無料公開。2000体以上の人形などが、全国から駆け付ける人々を迎えています。今年6月に母校を訪れ、3キャンパスを訪問した髙さんは後輩たちに「在学中になんでもいいから、得意となるものを身につけてほしい。個性を大切にしながら、失敗を恐れず社会で活躍してほしい」と呼びかけます。
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終戦後の小学生時代、世界地図が夢を広げる 「語学は実践で」
現在の大阪市都島区で生まれ育った髙さんは、戦後間もない徳島市在住時代の小学校高学年のころ、電力事情の悪い中で読みふけったのが世界地図で、それが海外へのあこがれに。「地球で日本の反対側にいる人たちは、どんな生活をしているのだろうか」。その思いが旅の原点となりました。戦後次々に植民地から独立するアフリカ各国の名前を覚えることにも、喜びを感じました。
自宅近くの上本町にキャンパスがあった大阪外大に入学。インド語を専攻しましたが、むしろペルシャ語の習得に力を入れました。たまたま兵庫県芦屋市に住んでいたイラン人と親しくなっていたのがきっかけ。「語学は使わないと上達しない」「留学生などをお世話するなど、外国人と積極的に交流するのが近道」と助言するように、まさに人との触れ合いから身につけていったのです。ESS加入で、英語力にも磨きをかけました。
▲ インドのプラサド大統領を新大阪のホテルで出迎えた髙さん(左から3人目)ら大阪外大の学生たち=1958年10月
三井物産で繊維など取引、激動の時代に多大な貢献
そんな努力も実って、あこがれていた商社の雄「三井物産」に1962年入社。早々に英検1級を認定されました。兵庫県川西市に住みながらしばらく国内勤務をした後、最初の海外赴任は74年から3年半のクウェート駐在員でした。いったん帰国して再び79年から5年間、ジャカルタ駐在員を務めました。
社会人になりたてのころの日本の主要産業は繊維部門。合成繊維を中心とした取引に従事しました。日本のナイロンストッキングの質は世界的に高くて、海外への土産にストッキングを持参すると、現地の人びとからとても喜ばれるような時代でした。「輸出の主力は繊維。それで稼いだ外資によって日本は機械を購入し、さらに自国を機械産業国に発展させていったのでした」と、髙さんは振り返ります。外貨獲得が至上命題の時代、国の発展に貢献できたという自負もにじみます。
当初は為替が1㌦=360円の固定レート。この環境で仕事になじんでいたところに、71年のニクソンショックを機に変動相場制に移行。激動の時代を商社マンとして生き抜いていきました。ジャカルタ時代にインドネシアの冷凍エビやコーヒー豆を日本向けに大量輸入させるルートを築いたのも、懐かしい思い出です。
そんな商社での人生にも満足せず、51歳の時に選択定年退職。不動産・建設損害保険業の「スカイコー」を創立して、社長を14年間務めました。背景には、30歳前に宅地建物取引士の資格を取得したことが奏功していました。常に前を見据えた人生を歩んでこられていました。
▲ 1974年三井物産クウェート事務所にて
貧しい国、紛争地などから貴重な人形2000体以上
さて、世界を股にかける「ワールド・トラベラー」の側面をたどります。業務で最初に海外出張したのは、厳寒のソ連でした。クウェート時代に中東や欧州の人形集めを始めました。貧しい子どもから買った人形や、紛争地の中で苦労して入手した人形も多いです。材料が乏しいアフリカでは、ブリキの廃材を使うなど、素材に工夫が凝らされています。
「旅でどこが一番良かったですか? もう一度行きたいのは?」と尋ねると、迷わず「南極」という答えが返ってきました。「ペンギン、アザラシ、クジラの姿に心が癒されました」
▲ 南極でペンギンたちに囲まれる髙さん=1995年
リタイア後は妻への感謝、さらに挑戦も
リタイア後の2008年、妻ヒサ子さんのたっての希望で、我孫子市に自宅を購入し、ここを「終の棲家」と決めて、翌年に「世界の人形館」を開館させたのでした。「妻は本当に私をよく支えてくれました。商社のころはお客さんを自宅に招くことが多かったが、得意のおいしい料理で、それはそれは上手にもてなしました」。その感謝を込めて、二人の生活を楽しみましたが、ヒサ子さんは3年前、77歳で帰らぬ人となられました。
その後も髙さんのチャレンジは続き、21年11月にはミュージカル「渋沢栄一と青い目の人形」では84歳で初舞台にも立ちました。しかも、主役として。
▲ミュージカルにも出演した髙さん(中央)
寄付文化が日本にも根付いてほしい
髙さんはこのたび、「母校の整備事業に役立ててほしい」と寄付をし、紺綬褒章を受章されました。その式典で西尾章治郎総長から「箕面新キャンパスの整備を進めてほしいとの期待をいただき、これに尽力していきます」とのお礼の言葉を送られました。
「寄付させてもらったが、思いはそれにとどまらない。海外で一般化している寄付文化が、日本にも定着するきっかけにもなればうれしい」とほほえまれました。
そして若い人、後輩たちには「世間には石橋をたたきながら、渡らない人が多い。それでは前に進めない。人生は一度きり。失敗を覚悟の上、いろんな挑戦をしていってほしい」とエールを送られます。
▲紺綬褒章を受章し、西尾総長(右)と記念撮影
▲烈士の碑を竹村景子・外国語学部長(左)と一緒に臨む髙さん
※「世界の人形館」は千葉県我孫子市我孫子の髙さん宅で無料公開。事前にEメール(ko-yasu[at]maple.ocn.ne.jp)または電話(090-8726-5599)で申し込み。人形のほか、万華鏡、仮面、紙幣・コイン、地球儀など多彩な民俗品が陳列されている。阪大の公式マスコット「ワニ博士」の人形も。
●上記Eメールアドレスの[at]は@に置き換えてください。
▲ 2000体以上の人形などを集めた「世界の人形館」