StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

世界中のガーデニング関係者が憧れる、世界最大の花の祭典「チェルシーフラワーショー」。2019年5月に開催されるこの大会に、なんと阪大の卒業生が出場します。法学部卒の、佐藤未季さん。北海道の幕別町を拠点に、観光施設や公共事業、個人宅まで、さまざまなお庭を手がけているガーデンデザイナーです。でも、そんな佐藤さんの大学時代の夢は「弁護士になること」。さらに、実家は調剤薬局を営んでいたと言います。薬局の家に生まれ、大学で法を学んだ佐藤さんが、なぜガーデニングの世界へ足を踏み入れたのか? そして、世界を舞台に活躍するまでの道のりは?今回は、前編と 後編 の2本立てで、佐藤さんの人生を追います。

佐藤未季(さとう みき)さん

ガーデンデザイナー
2004年3月、大阪大学法学部法学科を卒業。その後、単身渡英しWrittle Collageにて造園を、名門 Inchbald School of Garden Designにてガーデンデザインを学ぶ。ヒリアー樹木園、アダム・フロストデザインにて研修。
2016年、出身地の北海道幕別町に未季庭園設計事務所を開く。2019年5月にイギリスで開催される「チェルシーフラワーショー」に、柏倉一統(木野花園計画)さんと共に出場することが決定。

【実務経験】
2011 北彩都ガーデン アウネの広場 植栽設計 (高野ランドスケーププランニング)(旭川市)※同ガーデンは、2016年に造園学会賞を受賞(高野ランドスケーププランニング)
2012 十勝ヒルズ アニーカの庭 ガーデンデザイン、設計(幕別町)
2013 十勝ヒルズ ローズガーデン ガーデンデザイン、設計 (幕別町)
2014 十勝ヒルズ リニューアルデザイン ランドスケープデザイン主任 (幕別町)
2017 六花亭美術村庭園 ガーデン管理コンサルティング 植栽アドバイザー

「人の役に立つ仕事がしたい。でも薬局の跡を継ぐのも、東京の満員電車も嫌。」そして弁護士を目指し、大阪大学へ。

— はじめまして、今日はよろしくお願いします。2月の北海道は、一面が銀世界で美しいですね。

ようこそお越しくださいました。私が生まれ育った幕別町は自然が豊富なんです。

— 佐藤さんはご実家が薬局なんですよね?

そうです。父が薬剤師で、調剤薬局を営んでいました。昔は薬局を継ぐとか継がないとかで、よくケンカしました(笑)。

— 佐藤さんはもともと弁護士を目指されていたと伺ったんですが、薬剤師には興味が向かなかったんですか?

高校生の時に、「人の役に立つ仕事がしたい」という漠然とした想いがあったんです。薬剤師も人の役に立つとは思うんですが、やっぱり親と働くことにためらいがあって。高校の先生に相談したら、「医者か弁護士はどうだ?」って言われたんですよね。当時は、インターネットが普及していなかったから仕事を調べる手段もないし、ここは田舎だから、インプットできる知識も限られていて。

— 現代に比べると、圧倒的に情報量が少なかったんですね。その中で、弁護士に興味を持たれたんですか?

はい。当時、この地域で活動する弁護士は0〜2人しかいなくて、弁護士過疎地だったんです。それだと、何か訴訟が起きた時に対応できない。そんな実状を知って弁護士に興味を持ちました。それと私は血を見たり切ったりするのが苦手だから、医師は無理だなと思って。そんな漠然とした気持ちで、弁護士を目指し始めました。

—ちなみに、当時から植物への興味はありましたか?

自然に囲まれて育ちましたから、植物は好きでした。理科の授業で、葉っぱを集めて分類するのが楽しくて、マニアの気質がありましたね。

— 得意科目は?

生物と数学。続いて、国語、英語、社会という順でした。美術とかは特に苦手で、絵なんて描けなかったんです。今は仕事で描いてますけど(笑)。

— 理系だったんですね。法学って社会科に含まれると思いますけど、後ろのほうの順位ですね。

そう、だから先生からも、なぜ理系大学へ行かないのか不思議がられたんです。当時は自分の適正よりも、やりたいことを優先したんですね。

— そこから、なぜ阪大へ?

はじめは一橋大学を目指していたんですけど、修学旅行で東京へ行った時、満員電車に揺られまして。「あ、これは無理」って(笑)。先生にも、「私、東京ではやっていけないかもしれません」って相談したら、「じゃあ、大阪大学を受けてみたらどうだ?」って言われたんですよ。受験科目は数学・国語・英語だから、数学でなんとかカバーできるかなと思って。

— 高校の先生に阪大をおすすめされて、どう思われました?

私は、お笑いも、たこ焼きも、お好み焼きも好き。大阪だったら、いろんな個性を受け止めてくれるんじゃないかと思って受験しました。奇抜なファッションに身を固めた学生がたくさんいて、クリエイティビティを発揮しながら己を表現している大学なんだろうと、妄想をふくらませながら(笑)。

— 佐藤さんにとっては、大阪ってファンキーなイメージだったんですね(笑)。法学部一択ですか?

そうです。弁護士を目指して、法学部一択。

弁護士を目指しつつも、新しい興味がどんどん広がっていく。迷いの中にいた大学時代。

— 入学されてから、弁護士になることへの想いに変わりはなかったですか?

実は、ずっとゆらいでました。司法試験を受けては落ちて、でも悔しいからまた受けて。

— 在学中から受験されていたんですか?

当時は今と制度が違っていて、法科大学院がない時代でした。大学生でも司法試験を受けられたので、受験したんです。でも落ちてしまって、悔しいからまた1年後に受験して。司法浪人をしながら、7年間くらい挑戦しました。その途中に制度が変わって、法科大学院が誕生したんです。それからは院進学しないと、司法試験を受けられないようになってしまって。

— 状況が大きく変わってしまったんですね。

そうなんです。まず、法科大学院に入学してから卒業するまでに、高額な学費が必要。さらに大学院に行ったからといって、必ず弁護士になれるわけでもない。だから、一緒に司法試験を頑張っていた同級生の中には、見切りをつけて公務員試験にシフトした人や、企業に就職した人など、道が分かれていきましたね。法学部の学生としてはもう、激動の時代でした。

— それは大変でしたね。佐藤さんは、どのようなお気持ちでしたか?

これから自分はどんな人生を歩んでいくのか。その選択を目の前に突きつけられたような感覚でした。でも実は、司法試験を受ける前から、気持ちにゆらぎがあったんです。

— 司法試験を受ける前から?具体的にはどんな迷いがあったんですか?

他学部への転部や、大学センター試験を受けなおそうかとも考えました。阪大って、いい意味で自由なんです。教養科目でいろんな分野の学びにふれて、新しい興味をどんどん広げていける。私は生物の授業に参加したんですが、正直、法律の勉強よりもおもしろかった。理学部から医学部へ転部した友人の話を聞いて、「それなら私も建築学科へ行きたい!」って思ったこともありました。

— 建築??

大阪に出てきてから、いろんなところへ足を運んだんです。美術館に行けば、きれいなものがいっぱいあって、安藤忠雄さんの建築を見ては、「何この光の取り入れ方!」って感動して。

— 「光の取り入れ方を見る」という視点がユニークですね。

好きなんでしょうね、きれいなものにふれることが。あとは京都の植物園に行って、お庭を見たり。あとは、大学でアカペラサークルに所属していたから、歌や芸術にもふれることができて。阪大に来てから、私の中のドアがうわーっと開いていったんです。でも私、法律を選んでしまったから、この道で頑張らないとっていう想いもあって。興味が広がっていく一方で、本来の道を歩まなきゃいけないという葛藤の中でゆれていました。

— 佐藤さんの中で、生物や建築などの道に行くっていう選択肢はなかったんですか?

興味はそちらに向いていたのですが、試すのが怖くて。試してみた時に、自分の才能の無さを知るのが怖かったんです。転部も考えたけど、結局はできなかったですね。

27歳で受けた司法試験。その翌日の出来事が、彼女の人生を大きく変えた。

— 大学を卒業されたのが2004年とのことですが、ガーデニングの世界に入ったのはいつ頃のことですか?

ガーデニングの世界に入ったのは、2007年のこと。その前年にも司法試験を受けたのですが、その試験翌日に、大きな転機が訪れました。

— 2006年に何があったんですか?詳しく聞かせてください!

司法試験を受けるために、札幌にある北海道大学に行ったんです。家からは遠くて泊まりがけだから、試験の翌日は1日オフにして、街へ遊びに出かけました。「札幌芸術の森」というところへ行ったのですが、そこにはダニ・カラヴァンという有名な方が手がけられたランドアートがあったんですね。

— ランドアート?

平たく言うと、自然を使ったアートで、お庭みたいなものです。あれは5月のことだったんですけど、大阪ほど暑くなく、空気が爽やかで、太陽が桂の葉をきらきらと照らしていて。その場所が、あまりにも心地良くて、気持ち良くて、すごく救われちゃったんです。

— 人を救おうと頑張っていた佐藤さんが、救われちゃったんですね(笑)。

そう。すごく癒やされたし、幸せになれたんです。その時、ガイドさんから聞いた話も心に残っています。「この場所を手がける時に、ダニ・カラヴァンは桂の木を一旦抜いてしまったんだけど、ここに種が落ちて生えた木だから、この場所に植えなおした」って。このストーリーを聞いた時に、彼の考え方にも心を打たれました。

— どんなところに心惹かれたんですか?

人の手も加わっているけど、本来そこにある自然の姿を生かすというところ。

— 佐藤さんにとって、人生を変えてしまうくらい大きな出来事だったんですね。

それはもう、雷に打たれたかのような衝撃でした。これまで、人を救うために法の勉強をしてきたけど、こんな救い方もあるんだって。ひとつの目標しか見えていなかったけど、救える方法っていっぱいあるんだって、パアッと道が開けました。この感動や道を知ってしまった私は、もう司法試験に戻ることができなくなってしまったんです。

— 7年もずっと、弁護士志望一筋でやってきたのに?後悔はなかったんですか?

自分の実力ではやるだけやったから、この試験でだめだったら弁護士は諦めようって思っていたんです。それに、「私はガーデニングの仕事がしたい!」って、心で感じてしまったから。頭で考える前に、心で。

— ランドアートに出会った時に、法からガーデニングの世界へ、心がシフトしたんですね。それからは、具体的にどんなふうに行動していったんですか?

その頃はまだ、ガーデンデザイナーになろうとは思っていなくて、植物のメンテナンスをするガーデナーになろうかと考えていたんです。ガーデニングといえば、イギリス。「よし、イギリスに行こう!」って。

— え、イギリス!?留学ということですか?

はい。実は、司法試験の勉強をしながら、家庭教師のアルバイトをして貯金していたんです。司法試験に合格したら、司法修習所に行くまでに1年間、語学留学へ行こうと考えていて。

— もとから、留学も視野に入れてたんですね。

弁護士からガーデニングの道に方向転換した今、とにかくガーデニングを学びたい。そして本場イギリスなら、英語も学べる。ぴったりだ!と思いまして(笑)。そして28歳の時、イギリスの東部、エセックス州というところにある「Writtle College」(リトルカレッジ)に行きました。

— 留学すると言葉で言うのは簡単ですけど、単身渡英ですよね?ハードルが高くないですか?

イギリスの大学は、入学はわりと簡単なんです。卒業は難しいんですけど。法学部の学位があって、学費が払えて、最低限の英語力があれば大丈夫。そんなに難しいことではないですよ。

— ちなみに、英語の自信は…?

無いですよ(笑)。でも、中学生レベルの英語力があれば大丈夫だと思います。

— 大学時代は、転部や他の分野に踏み出すのをためらっていたのに、ガーデニングに出会ってから、一歩前へ進めたんですね。まわりからの反対はなかったですか?

やっぱり、頭で考える前に、心で感じてしまったのが後押しになったと思います。親からは止められませんでしたよ。「あなたに言っても無駄だから」って。でも友人には、留学に行くことを言えませんでしたね。みんな夢を叶えるために本当に頑張っていたから。

怖さを乗り越えて、一歩前へ。
描けなかった自分から、描ける自分へ。

— もともとは、1年間の留学だったと思いますけど、どれくらいの期間イギリスにいらっしゃったんですか?

結局、4年半くらいイギリスにいました(笑)。1年目の時に、「ナショナル・ディプロマ」という国家免状があることを知って、その制度を利用しました。この認定を受けると、入国から2年目は学生ビザを取得して、働いてお金を稼ぎながら学校に行けるんです。

— それを利用して、イギリスに滞在されてたんですね。

そうです。お金を稼げる働き口さえ見つかれば、イギリスにも長くいれるし、より多くの経験も積める。何より経験がほしかったので、私にぴったりな制度でした。そこで勤め始めたのが、ヒリアー樹木園。さらに運良く、イギリスで2人だけが選ばれる奨学金制度も利用することができまして。お金をいただきながら、実地で学ぶことができるという、この上ない学びの環境を得ることができました。


— 運が佐藤さんの味方をしてくれたんですね。ヒリアー樹木園ではどのようなことをされていたんですか?

そこはイングランド南部、ロムジーという村の中にある樹木園なんですけど。庭というか、もはや森。近くのスーパーまで、森の中をリュックサック背負って買いに行くようなところだったんです。そんな僻地だから、楽しみといえば、マシュマロを焼くことくらい(笑)。そんな場所で、ガーデナーさんたちからお庭のメンテナンスを学んだり、子どもたちに植物のことを教えたり。

— のどかでめっちゃいい環境ですね〜、行ってみたいです。

でも現実はそんな甘いものではなくて、大きな木を植えたりと、体力的にもハードでしたよ。イギリス人男性もいたのですが、彼らは背が高くて筋肉隆々で、ものすごいスピードで木を植えていくんです。彼らが4本植えている間に、私は1本のスピード。

— ガーデナーって、ハードな仕事なんですね。

そこで身体能力の差を感じて、考え直しました。「どうしよう。私やっていけるかな?私が得意なことって何だろう?」って。そんな時に、庭のリノベーションの設計を担当させてもらったことがあって。

— やってみていかがでしたか?

自分でもびっくりするくらい、デザインはすぐできました。

— おお、すごい!

でも私、はじめにもお話したように絵を描くのがとても苦手で。デザインのことも勉強していないから、自分が絵を描けるとか、デザインするとか、できないもんだと思っていたんですよ。 できないと思い込んでいたから、デザインするのが怖くて。

— でも、できたんですね。

そうなんです。それと、もうひとつ、苦手を乗り越えた出来事があったんです。ある学生が、お休みのたんびに、花の写生をしていたんですね。その姿が、絵が、すてきでかっこよくて。「私もやりたいけど、絵は描けないからできないな」って思っていたんです。

— 絵やデザインへの自信がなかったんですね。

だけど、ふと思い直して。「私、学生の時に、やらずに後悔したよね」って。生物や建築など、ほかの分野に興味があったけど、何もできなかった後悔がある。だったら、「ちょっと怖いけど、描いてみるか。、誰も傷つけるわけではないんだから」と思って、描いてみたんですよ。すると、自分でも驚くほど上手に描けたんです。


イギリス留学当時のガーデンデザインスケッチ

— ご自身でも、描けたという手ごたえがあったんですね?

むしろ、「これ誰が描いたの?」ってくらい笑。中学生の時は描けなかったはずなのに、怖さに打ち勝って描いてみたら、描けたんですよ。そしてその絵が、すっごくきれいに見えた。描いている自分も楽しかった。

— 怖さを乗り越えて、描いてみて良かったですよね。

「描けた!」というのは、大きな一歩でしたね。怖くて試してこなかったから、自分が描けるなんて知りませんでした。それからは、デザインにも興味を持ち始めて、描くようになりました。

後編へ続く

(本記事の内容は、2019年3月 マイハンダイアプリ内マガジン『まちかねっ!』に、特集 mappa! Vol.06 として掲載されたものです)

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