大阪大学 OSAKA UNIVERSITY
日本酒 緒方洪庵
Sroty.06 ~NEO「緒方洪庵」 第三弾~
愛媛の酒米「しずく媛」と 野村の伝統和紙、
国選定重要文化財「泉貨紙」
愛媛の酒米 ―しずく媛―

酒造好適米

 日本酒の原料は米・麹・水のわずか3つで、発酵という化学変化に酵母菌の力を使います。NEO「緒方洪庵」では、酵母は大阪大学ゆかりの「きょうかい6号」酵母を使用しています。今回、原料米を愛媛の酒米「しずく媛」に変更しました。
 酒米のことを正式には酒造好適米と呼び、飯米と異なる特徴があります。原料米は精米して使用し、例えば酒税法上の特定名称酒である「吟醸酒」は、原料米の精米度60%以下(40%以上削る)と定められています。酒造好適米は外硬内軟で心白(中心部)が大きく、タンパク質が少ないものがよいとされ、NEO「緒方洪庵」第1弾で使用した山田錦が最も有名です。ちなみに第2弾の原料米「兵庫錦」は、山田錦をもとに兵庫県が開発した酒造好適米です。

しずく媛

 愛媛県では「松山三井」が酒米として広く利用されてきました。より酒造りに適した特性をもつ県独自品種をとの声に応え、愛媛県で初めて酒米品種として平成21年(2009)に育成したのが「しずく媛」です。「しずく媛」は大粒で、心白の発現率が高く、旨味があり、やわらかい酒質が特徴です。
 NEO「緒方洪庵」第3弾では、西予市産「しずく媛」を全量使用しています。第2弾と同様、精米歩合は65%の特別純米酒となります。

野村の伝統和紙 ―泉貨紙―

泉貨紙の歴史

 今回のラベルの料紙には、1590年頃に野村で考案された「泉貨紙」を使用しています。考案者は兵頭太郎右(左)衛門(泉貨居士)で、伊予西園寺氏の最後の当主・西園寺公広に仕え、西園寺氏滅亡後に野村の安楽寺近くに隠棲し「泉貨」と号しました。同人の名前は、緒方酒造の先祖である緒方与治兵衛とともに、野村の三嶋神社棟札(1596年)に記されています。ちなみにこの棟札は、肱川の水害により藤堂高虎が舞殿を造営した際のもので、野村の災害復興と緒方家との関係の歴史的淵源を示しています。

宇和島藩と泉貨紙

 前近代において紙は貴重であり、泉貨紙は宇和島藩の奨励により野村の主要産業として成長しました。文化12年(1815)には、野村に紙役所(泉貨方)が設置され専売制となり、庄屋の緒方家に一任されました。

近代化と泉貨紙

 1900年頃には泉貨紙の同業組合が設立され、盛況となりました。昭和元年(1926)には野村に199戸、魚成に70戸、中筋に60戸、貝吹に28戸、渓筋に16戸、土居に4戸と、旧野村町域を中心に多くの生産者を数えています。しかし次第に洋紙が普及し、泉貨紙の紙漉農家の多くは廃業してしまいました。昭和43(1968)にはついに菊地定重氏(菊地製紙6代目)の1戸のみとなりました。

国選定重要文化財「泉貨紙」

 昭和47年(1972)、定重氏が野村町から無形文化財(泉貨紙製造技術伝承者)に指定されました。昭和52年には泉貨紙が通産省の伝統的工芸品に指定され、同55年(1980)には菊地定重氏の製造技術が国の文化財「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択されています。平成22年(2010)には7代目の孝氏が現代の名工に選出されました。現在は主に8代目の賢祐氏が製造しており、今回のラベルの料紙も作成していただきました。

泉貨紙の特徴

 泉貨紙は、原料に楮を用いた楮紙であり、その製法の特色は、細かい竹簀と粗い萱簀(しの簀)の二枚の簀を用いて、交互に漉き、一枚に合わせるもので、この結果、細かい簀には微細な繊維がのって薄紙となり、粗い簀には長い繊維がそろって厚紙となり、この両者が補いあって一枚になると、漉き終わりの繊維の立った面どうしが接するため、密着して容易に剥がれない強靱な紙になります。なお、近年は一つの桁の向こう側に細かい竹ひごで編んだ簀を置き、手前には粗い竹ひごで編んだ簀を置き、同時に紙を漉き、その後直ちに向こう側の簀を手前の簀の上に折り重ねて、一枚に合わせる方法が行われています。
 泉貨紙はその強さから、地元の牛鬼や鹿踊りの面の張り子や、東大寺二月堂のお水取りに着用する紙衣(紙の着物)として使用されています。また野村のバー&ゲストハウスentohouseの壁紙にも使われています。