大阪大学 OSAKA UNIVERSITY
日本酒 緒方洪庵
Sroty.02
日本酒「緒方洪庵」の創醸
宝暦三年創業 緒方酒造
 緒方酒造は宝暦3年(1753)に伊予国宇和郡野村(現・愛媛県西予市野村町)で創業した、250年以上も続く老舗の造り酒屋です。蔵元の緒方家(以下、「伊予緒方家」)は宇和島藩内で有数の庄屋であり、村内のみならず周辺地域で一目置かれる存在でした。文化14年(1817)には14代目の惟眞が被差別者の救済要求を藩に通し、問題解決に導いています。酒造りには11代目の惟善から進出し、「梅花」の銘柄を濫觴とします。
平成三年創醸「緒方洪庵」
 平成3年(1991)には、緒方洪庵の生誕180年を記念して大吟醸「緒方洪庵」の仕込みを開始しています。「緒方洪庵」のボトルネックには二つに折られた縦八八×横一二六ミリメートルの紙が紐でかけられ、洪庵と伊予緒方家との関係および「緒方洪庵」創醸の経緯が綴られています。

   
" 緒方洪庵は、備中国足守(岡山市足守町)出身、文化七年(1810)七月生まれ。
幕末の医学者、偉大な教育者であります。洪庵主宰の「適塾」からは、大村益次郎、福沢諭吉らが輩出しています。洪庵と当緒方家は先祖を同じくする一族で当家二代惟真からの分かれであります。
今から四百数十年前、戦国時代の弘治三年(1557)六月、当家初代惟教が、大友宗麟との不和により、豊後国佐伯(大分県佐伯市)から長男惟真らを伴い伊予宇和郡の領主西園寺氏の知遇をえて白木城(愛媛県野村町)にいました。 この惟真の子に、惟照、惟定、惟寛らの兄弟がいました。
永禄十二年(1569)惟教は惟真らを伴い伊予から豊後に帰りましたが、長子惟照だけは野村の地にとどまり、この惟照が当家の始祖であります。
惟照の弟惟寛は、天正六年(1578)大友、島津両氏の高城合戦で祖父惟教、父惟真らを失いました。
惟寛の一族は豊後を去り、毛利輝元を頼ったのですが、その後、備中国足守に移り住みます。
この惟寛が足守緒方家の始祖であり、緒方洪庵はその末裔に当たります。
ここに洪庵生誕百八十年を記念して大吟醸「緒方洪庵」を造りました。
洪庵ゆかりの当社「大吟醸」を酌みながら歴史の香りを甦らせて下さい。 "


この文章を執筆したのは、緒方家当主で行政法が専門の法学者・緒方真澄氏(香川大学元教授・聖カタリナ女子大学教授)です。両家の系譜については、真澄氏自身が検討を加えており、裏付けを取った上での商品化でした。緒方酒造に伝わる「緒方家譜」と、洪庵の実家・佐伯家の系図「家系別伝(佐伯家系譜)」(大阪大学適塾記念センター所蔵)を比較すると、両系図に共通する人物が戦国期まで確認されます。すなわち、両家は豊後佐伯氏を共通の先祖に持ち、戦国期にそれぞれ伊予・中国地方へ渡って帰農あるいは仕官した同族であることが、両系図から読み取れます。