阪大StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

のびやかに、ひたむきに、
時に悩み、それでも前を向く。
そんな阪大生たちのきらめきの学生生活(ストーリー)

1年間の復興支援ボランティア 「地元との自然なふれあいができるように」
1年間の復興支援ボランティア 「地元との自然なふれあいができるように」

1年間の復興支援ボランティア 「地元との自然なふれあいができるように」

塩田朋陽さん(人間科学部 4年生)

東日本大震災発生後、大学と連携して多くの阪大生がボランティアとして岩手県野田村に通い続けた。そのうちの一人、人間科学部3年だった塩田朋陽さんは、「野田村との関わりを断ち、このまま卒業・就職していっていいのだろうか」と悩み始めた。「休学しよう」。4年生となるべき1年間を現地で過ごし、今年4月から復学。「周囲は『たくましくなった』と言ってくれます」と照れながら、現地での経験を胸に、勉学に人一倍励んでいる。

 2年生終盤。災害ボランティア行動学などを専門とする渥美公秀教授のゼミを軽い気持ちで選択していた。そこへ東日本大震災が発生。先輩たちが災害ボランティアサークル「すずらん」を結成した。3年生になった塩田さんもサークルに混じって5月に初めて野田村入りした。その後も月1〜2回、野田村に通った。

 重機が早めに入っていたので、仮設住宅などを回って地元の人々のニーズに応えることが中心だった。夜は、被災者たちと一緒に遅くまで語り合うこともあった。「被災をバネに村を良くしないと」との前向きな強さに、塩田さんが力をもらうこともあった。一方、夜の村内を走る自動車の中で、運転する現地の方が「(建物も灯りもなくなり)まるで宙に浮いているみてぇだ。ぶざまだけれど、これが今の村の姿なんだ」と、涙混じりに語った言葉が忘れられない。

 年末には就職活動にも入りつつあったが、村の人々の顔などが浮かび、「何もかも中途半端になる」と休学を決意。両親は「目的をもってやれるのか」と案じながらも、決意を理解してくれた。

 各地から野田村に集まっていたボランティア「チーム北リアス」の拠点事務局員として事務所近くのガレージ2階を借りて自炊生活。週2回の観光振興のアルバイトで生計を立てた。

 あるみなし仮設のおばあちゃんはいつ行っても、夫を奪った津波の話を繰り返した。何度も何度も。そんな人々の言葉を聞くことで、地元住民の沈んだ気持ちの発散、希望探しのお手伝いになったらうれしい、と語る。

 最後は、村長をはじめ60人もの人々が送別会を開いてくれた。「一人でできないことが、いっぱいある。一人でやっているつもりでも、いろんな人のお世話になっている」。現地を離れる夜行バスの中で1年間を振り返ると、感慨深かった。

 大学院に進むつもりだ。自身が実践したボランティア経験を生かしていきたい。渥美教授からは「研究の道に進む以上、勉強も疎かにしてはいけない」と、ネジを巻かれている。村内には今年3月11日に阪大サテライトが設立。衛星回線などを使って毎月11日、村民と阪大生との交流を行っている。また、「すずらん」代表として、野田村への農業体験などを含めたツアーバス企画を継続している。「『被災者−ボランティア』という関係の構築ではなく、『人と人』の自然なふれあいができるように心がけています。村の人からも、当初と違う自然な笑顔が浮かぶようになってきたのがうれしいです」

(本記事の内容は、20136月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)