StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

将来の選択肢を広げるため阪大工学部へ

中学3年から実家近くの祖母宅の離れで一人暮らしを始め、自立心が養われた對馬さん。「高校までに自分が知っている世界は、学校と部活と親の仕事くらい。その程度で将来の職業を選べるわけがない」と思い、できるだけ将来の選択肢を広げられるようにと理系を選択。その中でも大阪大学工学部に進学し、プラズマ工学を学んだ。

自分で一から作りたい

高校生の頃から携帯電話が大好きで、「毎日携帯ショップに通っていました」。大学進学後は、「多機能情報端末」にはまり、好きが高じて独自にカスタマイズした。「好きなモノは、こだわって一から作りたいと思いました。その思いは、今の仕事にもつながっています」

ベンチャー企業に影響を受けた

大学生活を送りながら、「モノ作りには、設計やマーケティングなど大勢の人が関わるのに、家と研究室の往復だけでいいのか」と疑問を抱いていた。大学院1年のときに、ある受講プログラムの選考仲間と意気投合し、4人でシェアハウスをして生活した。

彼らの影響を受け、経済学研究科が開講する授業「ベンチャービジネス創成」を受講。個性豊かな経営者がリレー形式で登壇し、学生が将来自分の才能を社会にどう生かすかを考える授業で「ベンチャー起業者の講演を聞いて、受身ではなく、自分で考えて行動しないといけないと思いました」と振り返る。

工学研究科応用物理学専攻の河田聡教授(当時)が起業したベンチャー企業でアルバイトをした時には、社員たちが設計やプログラムなど一人何役もこなしている姿に驚き、「大きな影響を受けた」と語る。また、当時頻繁に開催されていたハッカソン(プログラム開発のアイデアを競うイベント)にも積極的に参加。様々な人たちと交流を深めながら、「自分の感性で『良い!』と思う世界を変える製品を作りたい」との思いがあふれた。

世界を驚かせたアイデアは大学院生の頃のもの

世界を驚かせた「wena wrist」のアイデアは、大学院生の頃、既に思いついていた。当時、腕時計のほかにもスマートバンドを2個腕に着けていて、電車に乗ると周囲から変な目で見られた。「悲しかった。そこで悲しさを解決する製品を作ろうと思いました」と笑う。

入社1年目で社内オーディションに「wena wrist」のアイデアを提案。見事パスして製品化につながった。今、27歳の若さで事業責任者だが、「人生で勝負できる期間は限られている」と自戒する。「仮に20年間として、5年をロードマップとすると、世界を変えるチャンスは4回しかない」と表情を引き締める。

世界を舞台に戦えるように

座右の銘は「自分で考えて行動する」。ずっと通してきた生き方だ。自分で作ったモノは、責任を持って自分で発表し、どのように使われているかまで知るべきと考えている。阪大の後輩には「自分が好きなモノや大切なことがあれば、大事にしてほしい」とアドバイスを送る。自身は次の製品や海外展開に向けて準備中だ。「世界を舞台に戦えるようになりたい」と自信を秘めた笑顔を見せた。

●對馬哲平(つしま てっぺい)氏
大阪大学工学部精密科学専攻、同工学研究科修士課程を修了後、2014年ソニーモバイルコミュニケーションズ㈱入社。入社1年目で社内オーディションに提案した「wena wrist」のアイデアが評価され、15年ソニー㈱新規事業創出部wena事業室の統括課長として現在に至る。「wena wrist」のクラウドファンディングでは1億円以上という驚異的な支援金が集まり日本記録を樹立、16年6月から販売している。

企業情報

ソニー株式会社 (東京都港区港南1-7-1)
井深大氏と盛田昭夫氏が1946(昭和21)年に東京通信工業株式会社として創業。58年に現社名に変更。トランジスタラジオやステレオカセットプレーヤー「ウォークマン®」など革新的な商品で世界市場を席巻。89年には米コロンビア映画(現ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)を買収し、94年には家庭用ゲーム機「プレイステーション®」を発売してゲーム事業に参入するなど経営の多角化を進めた。

(本記事の内容は、2017年6月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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