StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

東京五輪直前に開業した東海道新幹線

東京オリンピック(1964年)直前に東海道新幹線が開業。元々鉄道に乗るのが好きだった白國さんは、父に連れられて、名古屋へ旅行するために新大阪~名古屋間を新幹線に乗ったと懐かしむ。当時の最高時速は210キロメートル、「夢の超特急」と呼ばれた。「新幹線は高架を走るので当時は近くにすれ違うものがなく、スピード感が今ひとつピンと来ませんでした。でも今思えばこれが新幹線との出会いですね」と笑う。

車両技術者として国鉄に入社

高校時代、物理の先生の話が面白く、エンジニアを志して大阪大学基礎工学部に入学。「大学では、材料力学、流体力学などの機械工学の基礎を学びました。また、オリンピックをきっかけに、中学から陸上、特に短距離走の魅力に目覚めて、大学でも陸上部に入って汗を流しました」
機械工学の知識を活かすべく、当時の国鉄に機械系で就職。「鉄道は好きだったので、エンジニアとして鉄道の仕事をしたいと思っていました」。最初の配属は大船工場勤務で、その後の後藤工場勤務時代も含めて、車両のオーバーホールを5年半担当した。

その後、東京・新宿の車両設計事務所で、新幹線車両の設計に携わることになる。車軸や車輪、パンタグラフなど試行錯誤をくり返しながら形を決めていった。「車両を安全かつ確実に運ぶためにはメンテナンスがベース。部品が取り替えにくければ故障の元になりますし、車両の使われ方、お客様の安心や客室でのニーズなども考える必要があります。設計と一口に言っても、非常に奥が深いですよ」

思いもよらなかったリニア担当

当時の新幹線は0系が主流だったが、設計を手がけたのは次世代の100系。足回りを軽くするため、台車をいかに簡単な構造にするかを考え、渦電流ブレーキの仕組みを初めて取り入れるなど精力的に仕事をこなした。そして国鉄分割民営化後の1990年、JR東海がリニア開発を本格化させるにあたり、リニア担当に抜てきされた。

「戸惑いがありました。それまでは、リニアについて漠然としたイメージしかなく、どうやっていつごろ実用化するのかな、という程度にしか思っていませんでした。当時、宮崎にある実験線で最高時速517キロメートルは出ていましたから、時速500キロメートルで走らせる超電導磁石ってどんなものかと。深く考えていませんでしたね」と振り返る。

飛行機と新幹線の技術を組み合わせ

リニア開発での難題は、いかに軽く、空気抵抗が小さい車両を作るかということ。「模型を作り、風洞装置で空気の流れを見て、先頭車両の形を決めていくのですが、先頭車両としては空気抵抗が少なくいい形でも、最後尾の車両となったときには渦を巻いて空気抵抗が大きくなってしまう形もありました。また、先頭車両の“鼻先”を伸ばして空気の流れを良くしても、その伸ばした分、座席数は減ってしまう。さらにリニアはガイドウェイ※の壁と車両の間の空気の流れも考慮する必要がある。相当頭を抱えました」

そこで当初、参考にしたのが胴体の断面が円い飛行機の設計。解析技術の進歩に伴いコンピュータでのシミュレーションも繰り返した。「飛行機と新幹線の技術をいかに組み合わせて、リニアの形を決めるのかが難しく、ずっと工夫を重ねてきました」。紆余曲折の末、“鼻先”の長さは、スタート時の9.1メートルから試験的に23メートルに延ばし、データを蓄積・解析し、その走行性能を維持しながら座席数も確保して、今は15メートルとしている。

※ガイドウェイ:従来鉄道のレールに相当するU字型の構造物

困難を乗り越えリニア中央新幹線建設に着手

難題は尽きない。宮崎実験線時代には超電導磁石の磁力が消滅する「クエンチ」と呼ばれるトラブルも発生。車両の走行に伴う振動により、超電導コイルに局所的に摩擦熱が発生し、超電導状態を保持するのに必要な温度を超えることで発生していた。だが、超電導コイルを振動に対して変形しにくいものとする等の対策を行い、解決した。「リニア開発では何度も壁につきあたりましたが、その度にあきらめず、地道に解決策を模索しました」

2003年には山梨県の実験線で当時世界最速の時速581キロメートルを記録、2015年には時速603キロメートルを記録し、自らの世界最高速度を更新。2015年末までの試験走行距離は146万キロメートルと地球36周半分に相当する。2014年12月にリニア中央新幹線の建設に着手、2027年に品川から名古屋、2045年には大阪まで開通する計画だ。

長いスパンで、自らを高めて

大阪大学の後輩たちには「長いスパンで、各分野で学問を追求して、自らを高めてほしい。その結果として、将来に向けて描けることがあれば、地道に努力して、簡単にはあきらめずにやることが大事だと思います」とエールを送る。

白國さん自身は、自分を「平凡な人間」と評する。「だから、人並み以上に努力しないといけないと思っています」と柔和な笑顔で締めくくった。


●白國紀行(しらくに のりゆき)氏

1975年大阪大学基礎工学部機械工学科卒業。2006年同基礎工学研究科博士課程修了、工学博士。1975年日本国有鉄道(国鉄)入社。浜松工場車両課長などを経て、87年JR東海新幹線運行本部車両部車両課副長、93年リニア開発本部主幹、2002年リニア開発本部山梨実験センター所長、06年執行役員リニア開発本部長、10年常務執行役員、12年6月から現職。

企業情報

■東海旅客鉄道株式会社(JR東海)
(本社・愛知県名古屋市中村区名駅1-1-4)
旧国鉄の分割民営化に伴い、1987年設立。日本の大動脈である東京~名古屋~新大阪を結ぶ東海道新幹線と、名古屋・静岡地区を中心とした12線区の在来線を運営している。社員数約1万8000人。

(本記事の内容は、2016年3月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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