StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

遊んでばかりいた子どものころ

大阪大学がある吹田市の千里に生まれ育った。子どものころは、やんちゃないたずらっ子。千里丘陵を駆け巡り、「遊び疲れて、家では居眠りをしながらご飯を食べていました(笑)」。中学3年になって、「さすがにまずいな」と思って勉強を始めた。尻に火がついてから始めたが、「意外と何とかなりました」

追い込まれてからの集中力

大阪大学を選んだのも「母親から大阪で一番いい大学と擦り込まれていたから」。醗酵工学科に入ろうと思ったのは、「当時は日本で大阪大学にしかなかったから」。醗酵そのものに興味があったわけではなかったが、研究を重ねるうちに、「微生物がいろいろなものを変え、人間と非常に深いかかわりを持つという目に見えない神秘、そこに面白さを感じました」と振り返る。

入学した1970年当時は学生運動が盛んで、大学は封鎖状態で授業がなかったため、初めて大学に行ったのは12月ごろ。当時、「誰もやっていなさそう」という理由で入部したアイスホッケー部の練習は厳しく、帰宅は毎日深夜。結局、1年目はほとんど大学に行かなかった。4年になって就職もぎりぎりになってからやっとエンジンがかかり勉強に励むようになった。やはり「尻に火がついてから」。実は会社でもそうだという。「社内でも結構火をつけてくれた人はいっぱいいましてね。『お前は好きなことをやっている時の集中力と、やりたくないことをやっている時の仕事の差が激しい』と何人もの上司によく言われました。子どものころのやんちゃな精神が残っているのでしょう」と笑う。

現場で培った仕事の大切さ

アサヒビールに就職したのも、吹田に工場があり身近な存在だったということに加え、就職担当の教授に「ビール会社は官公庁に匹敵するくらい。倒産することはないので狙い目」と言われたことも理由の一つ。

これまでの会社人生40年のうち、約20年は吹田や博多の工場で、その後の10年は酒類研究所などの、製造や研究開発現場で勤務した。知識と技術、経験を蓄積しながらビール醸造の奥深さを学んできた。そこでは大学で学んだ微生物工学の知識が役立った。同時に仕事の大切さも現場で覚えたという。

仕事は一人ではできない

「大学を卒業して右も左も分からない私のような者たちが、最初にポンと工場の現場に放り込まれて、力を試されるわけです。工程の中でいろいろなトラブルが起こった時に、工場にいる現場の人たちはどう対処したらいいかがよく分かっています。ところが、我々はよく分からない。でも指示をする立場。当然、的確な指示ができないのですが、それを何回か繰り返していくうちに、的確な指示ができるようになっていきます。それを現場の人が評価をして、我々が巣立っていくという構造になっていました。仕事がうまくいった時に一緒に喜びあい、うまくいかない時は一緒に励ましあいました。仕事の中身を共有しあうことの大切さを、嫌と言うほど最初の数年間に学びました。仕事は一人でできっこない、一緒に協力してくれる人がいるからできるのであって、成功した時も全員の成功だと。このことは今でもきわめて重要なことだと思っています」

変わらない基本精神

副社長になった今も、ビール造りの基本精神は一貫している。「お客さんに満足してもらうようにいいものを造りたいという思いがどこまであるか、それがスタート。金儲けをするためにはどんなモデルが必要なのかを考えることも必要だが、徹底的にいいものを造りたいというすごく強い思いがないといけない。それは今も変わらない」

もっと世界に飛び出して

大阪大学で学ぶ後輩には「もっと世界に飛び出して、視野を広げ、いろいろなことに挑戦する目を学生時代に養ってほしい。阪大生も含め『優等生』な若者が多い。むしろ角があって、社会の中で自分で角をたたきながら形を整えていってほしい。そういうやんちゃな若い人を見ると楽しみです」と昔の“やんちゃ小僧”は嬉しそうに語った。

●川面克行(かわつら かつゆき)氏

1975年大阪大学工学部醗酵工学科卒業。アサヒビール吹田工場や博多工場の醸造部長など経て、2000年吹田工場副工場長、01年酒類研究所長、04年商品技術開発本部長、07年酒類研究開発本部長、10年常務取締役、11年アサヒグループホールディングス常務取締役、14年3月から現職。

企業情報

アサヒグループホールディングス株式会社
(東京都墨田区吾妻橋1-23-1)

本格的国産ビール開発を目指し、「大阪麦酒会社」として1889年創業。国内初の瓶入り生ビールや缶ビールを発売。アサヒスーパードライの大ヒットなどで、ビール市場のシェアはトップ。2011年、アサヒグループHDに移行。大阪大学卒業生はグループ全体で78人。

(本記事の内容は、2015年12月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

share !