StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

わが子のような「コンチェルト」

「この角度(で見て)もカッコいいんですよ。ほら、見て」。南部さんが、陽光に白い船体を輝かせ、港に停泊しているコンチェルトに駆け寄った。わが子のようにコンチェルトを愛し、社員と一緒に育ててきた。「この船は阪神・淡路大震災で寸断された陸路に代わり、被災者や支援物資を運ぶ足として活躍しました」といとおしそうに話す。

コンチェルトとともに“航海”を続けて17年。「天候や社会情勢に左右され、大変なこともありましたが、いつもお客さまの笑顔に支えられてきました」と振り返る。

がむしゃらに突っ走ってきた

小学6年の時に「真実にたどりつける人になりたい」という思いを抱き、弁護士を目指して大阪大学法学部へ。「法学部は160人のうち、女性は10人だけ。仲良かったですよ。刑法総論や憲法などの講義も面白くて夢中で勉強しました」。勉学だけでなく、同級生と旅行へ行ったり、ミュージカル愛好会に参加したり、学生生活もエンジョイ。愛好会では「風立ちぬ」を上演した。「でも残念ながら、衣装係でした」と笑う。

目指す司法試験の壁は厚く、弁護士になる夢は果たせなかったが、卒業後は兵庫県庁に勤務。農業関係の相談業務などに就いたが、仕事をするうえで、法律を学んだことを生かせたという。やがて結婚し、出産。当時は育児休暇制度もなかったため、生後2カ月から子どもを保育所に預けて仕事を続けたが入庁後9年が過ぎた頃、子育てに専念しようと退職した。そして、震災復興プロジェクトに関わるまでの12年間は専業主婦だった。南部さんの転機となったのは震災。震災で街が壊れるのを目の当たりにし、生と死が隣り合わせであることを知った。

震災がきっかけで仕事に復帰

震災後、義弟の南部靖之さんが代表を務める総合サービス業、パソナグループが震災復興プロジェクトとして進めていた商業施設に携わることになった。引き受けたのは「学生時代から神戸に住み、海側から見る山の景色が大好きだった神戸に恩返しを」という思いからだった。

1997年、靖之さんが売りに出されていた船を買い取り、クルージング事業を始めることになった。船は「コンチェルト」と命名され、南部さんに運営が託された。

「神戸のために頑張った船だから、もう一度神戸で輝かせてやりたい」。そんな思いが湧き上がったという。

神戸の魅力を発信し続けたい

社長として約8年務めた。会社経営にあたっては「会社は社会から預かりもの。社会に尽くすことが会社の使命」ということを常に心がけてきた。そして「仕事は人と人のつながりで成り立っています。今は会長としてネットワークを作り、組織を強靱にするのが私の役目。神戸の山や海、街の素晴らしさも発信し続けます」とさわやかに言い切る。

会社経営の一方で、母校、大阪大学の経営協議会委員も務める。「適塾を作った緒方洪庵の考えが阪大の根幹。その根幹が揺らいではいけないと思います」と言い、後輩へは「好奇心が人を作る。ピンと(アンテナに)引っかかったら、足を運び、五感を働かせて感じたことを体の中に取り入れていくとそれが真の教養になる」とメッセージを送る。

●南部真知子(なんぶ まちこ)氏

1975年大阪大学法学部卒業後、兵庫県庁に入庁し、約10年間勤務。95年の阪神・淡路大震災後、復興プロジェクトの商業施設や観光レストラン船「コンチェルト」事業に参画する。02年副社長、2006年から14年まで代表取締役社長。14年4月から現職。本州四国連絡高速道路株式会社監査役、神戸ハーバーランド協議会理事、神戸商工会議所集客交通部会副部会長など数多くの要職を務めている。

企業情報

株式会社神戸クルーザー

1997年7月設立。本社は神戸市中央区東川崎町1-6-1。神戸港から発着する観光レストラン船「コンチェルト」を運営。コンチェルトは総トン数2138トン、全長74 メートル 、全幅13メートル。旅客定員は604人。1日4便運航しており、船上での結婚式や披露宴、各種パーティーなども行っている。

【予約センター】078-360-5600
【ホームページ】 http://www.kobeconcerto.com/

(本記事の内容は、2014年9月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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