StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

夢中になれた基礎工時代

大阪のリバーサイド、中之島。ここに日本、韓国、中国などアジアの陶磁を一堂に集め、展示する大阪市立東洋陶磁美術館がある。豊臣家ゆかりの油滴天目茶碗、鴻池家伝来の飛青磁花生という2点の国宝に加え、中国歴代の皇室専用の窯で制作された名品を楽しめる、世界的にも知られた美術館だ。館長を務める出川さんは、大阪大学の基礎工学部卒業。意外な経歴だといえるかもしれない。

「なにしろ新しい学部だったので、自由な雰囲気にあふれていました。量子力学、物性物理学など、先生方の熱の入った講義は本当に楽しかったですね。理系の学科ですが、中国哲学の発想も進んで取り入れるような懐の深さがありました」

ちょうどこの頃、同じ豊中キャンパスで、文学部に美学科を設立する準備が進んでいた。出川さんは授業の合間を縫って、美学、芸術学の講義を聴講しに行った。「数式を使って芸術を表そうとする『情報美学』の考え方が出てきた頃でした。物理学や数学の理論と芸術をつなぐ考え方が非常に衝撃的で、夢中になりましたね」と振り返る。

木村重信 ドナル ド・ キーン先生との出会い

芸術学のなかでも、木村重信先生の抽象美術論の講義が楽しくて仕方がなかった。「木村先生は本当に博学で、どこの国のどんな時代の芸術作品にも分け隔てなく興味や関心を持ってアプローチできる方。まず現物から芸術を考える人。ダイナミックでエネルギッシュな考え方の持ち主です」

美学への思いにかられ、とうとう文学部への転部を思い立つ。しかし木村先生から「いったん物理学を修めてから文学部においで」と言われ、基礎工学部を卒業。その後文学部美学科に学士入学し、大学院へと進んだ。美学の基礎は哲学。プラトンから始め、カント、ヘーゲル、ハイデッガーと、さまざまな思想家の美学、芸術論に触れた。量子力学に触れた時のように、多様な理論がどれも興味深く感じられたという。

出川さんにとって大学時代から今も交流が続く恩師の一人に、ドナルド・キーン氏がいる。「先生は非常勤講師として毎週、飛行機に乗って教えに来ておられたのです。日本文学論を聴講しましたが、もうとびきり楽しかったですね。どんな時もユーモアを忘れない、本当にすてきな人で、その魅力は変わりません」

キーン氏は今も時折、お気に入りの韓国陶磁を鑑賞するために東洋陶磁美術館を訪れるそうだ。

美は見る人の中に現れる

修士課程を修了し、西宮市の大谷記念美術館に勤めていたころ、「東洋陶磁美術館の採用試験を受けてみては? 君にぴったりだよ」と、木村先生から声をかけられた。出川さんが学生時代から東洋の陶磁に興味を持っていることを、覚えていてくれたのだ。

新しい職場では、伊藤郁太郎館長から多くのことを教わったが、特に心に残っているのは「一流のものを見なさい。そうすれば応用が利くよ」という言葉だ。「いつも良いものに触れていると、洋の東西を問わず、価値観の違いや様式の違いを超えて、ものを見る目が養われる」。学芸員に必要なものは知識だけではなく、豊かな芸術経験なのだと教わった。

「学生時代は、作品の中にある『美そのもの』を追究し、理論的に表現しようと試みていました」。修士論文は、「抽象表現主義とゆらぎについて」。物理学の概念を美学に当てはめて考えるというユニークなテーマだった。

しかし、今は変わってきた。「『見る人の中に美がある』という思いが強まりました。来館される方に、自分の目で見てすばらしいと思った気持ちを大切にしてほしいのです。美術館は、そのような『見る人の気持ち』をサポートするところ。学術的な解説を伝える準備はきちんとしなくてはなりませんが、そのような情報はいったん後ろに置いて、作品そのものを見てもらうための環境を整えることがとても大切だと考えています」

ビジョンを定めつつ、柔軟に

「回り道もあったけれど、無駄なことなんてひとつもなかった。いい出会いばかりだった」と出川さんは振り返る。基礎工学部でも、文学部でも、楽しいことばかり。どの先生も「自由に柔軟に何でもやってみろ」と背中を押してくれた。今の仕事も楽しくてしょうがない。

後輩たちにも、「ビジョンをしっかりもつことは大事だが、同時に好奇心と柔軟な発想を大切にしてほしい」と語る。「どんな道をたどっても、確かな目標があれば解決する道が見えてくる。安易に妥協しないで、柔らかな心で人生を謳歌してください」

大阪市立東洋陶磁美術館

中国・韓国の陶磁の収集では世界屈指の「安宅コレクション」を所有する住友グループが大阪市に寄贈。大阪市は1982年に美術館を設立。日本陶磁やペルシャ陶器も合わせ約4000点を収蔵。国宝2点、重要文化財13点を含む約400点の代表作が平常展、特別展を通じて紹介されている。最寄駅は、京阪中之島線「なにわ橋」地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋」、地下鉄堺筋線・京阪本線「北浜」。

(本記事の内容は、2014年9月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

share !