StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

ユニークな同級生 先輩との出会い

兵庫で生まれ、奈良で育った樋口さんは、「親戚など周囲がほとんど理系だったので」自然と工学部に入学。「勉強らしいことはしなかったなあ」と謙遜するが、当時の同級生は「まさかあんなすごい会社の社長になるとは思わなかったけれど、頭は良かったし、企画力や指導力がありましたよ」と振り返る。

軽音楽部を通じて他大学とも交流でき、幅広い人間関係につながった。「一丁やったろか」と意欲満々の先輩から刺激を受けたり、面白い人間性の人たちと出会えたことが、後の財産となる。「一方で、単に学校と家を行き来するだけの学生もいて、そんな生活だけはしたくなかったです。少し語弊があるかもしれないが、偏差値の高い学科ほど面白くない人間がいたように感じましたね」と語る。上下関係から規律を身につけ、ユニークな先輩たちからパッションを学び取った。

MBAが経営者への転機

電子工学科電子ビーム第2部門で研究したのち1980年に卒業、松下電器産業株式会社に入社。主に溶接部門で働いていたら約10年後、技術者から経営者に転身する大きなチャンスが訪れた。社費でハーバード大学経営大学院に通えるようになったのだ。難しい試験を突破した上、十分な睡眠も取れずに猛勉強し、身も心も削るほどの苦労をした。成績はもとより、授業で積極的な発言をしていなければ、脱落する。「もともと、控えめにふるまうよう、日本的な家庭で育った」樋口さんは、主張しコミュニケーションを取れる姿勢にチャレンジ。教室に入るたび、ほっぺたをたたいて「お前はアグレッシブだ、発言できるんだ」と自らを奮い立たせた。

MBA取得後、より広い世界を求めて松下電器を退職。コンサルタント会社、アップルコンピュータを経て、コンパックコンピュータに入社し、それと合併した日本ヒューレット・パッカード(HP)でも経営の手腕を発揮して、代表取締役社長に就任。ここでも業績を上げて社員の信頼を集めたが、さらに新たな岐路が待っていた。産業再生法が適用されるダイエーの再建を依頼されたのだった。

死闘乗り越えダイエー再生

それまでのIT関係と全く分野の異なる流通業。カリスマ経営者の作った企業を再生させるという難しい仕事。HPへの愛着。迷いに迷い、多くの知人らにも相談するなどして、受諾を決断した。2005年、ダイエー代表取締役社長に就任。僅か1年半で見事に再生を成し遂げただけに、一つの成功物語のように受け止められがちだが、「眠られない、食べられない。まさに死闘で、体重が8㌔落ちた」といい、その「499日間の苦闘」を中心に、著書「変人力」(ダイヤモンド社)に記している。

そのユニークなタイトルは「大きな変革を行うためには、揺るぎない軸をもって社内の固定観念を打ち破る力、社員たちに熱き言葉で信念を伝える力が必要だ」という思いから。周囲に反対され、変人と見られることも覚悟して チェン ジ・ リーダーになりきった 外部から登用された社長だけに、生え抜きの幹部たちは「お手並み拝見」というようなムードも醸し出したが、さまざまな社長直轄プロジェクトを立ち上げるなどして、変革を進めた。その象徴的な一つが「野菜の鮮度向上」プロジェクト 当時のダイエーは、野菜が悪いというイメージが消費者にこびりついていたが、組織として改善できない状態だった。各セクションから意欲的な社員を集め、社長も加わって積極的に意見を戦わせ、流通ルート の見直しなどを加速的に進めた。見違えるような品ぞろえとなり、かつては野菜の裏など傷み具合を見ていた客が、いちいち確認などせず買い物かごに入れてくれるようになった。

リストラも社員を思えばこそ

それでも、組織のリストラは「会社と社員のことを思えばこそ」、避けて通れなかった。全国263店舗のうち、54店舗を閉鎖。ここでも、樋口さんの人間性がにじみ出る。その1店ずつに出向いて店長、店員らと向き合った。「こんなに頑張っているのに、なぜ閉めるのか」と訴える女性に、言葉が詰まった。まさに閉店シャッターが降りる時、90度お辞儀をして肩をふるわせる社員の姿に、涙があふれた。「リーダーたる者、最後まで逃げてはいけない。つらい現場に行かない、きつい仕事をやらないようでは、リーダーは従ってもらえない」との信念を、まさに現場で貫いた。

◉腹落ちが会社のパワーに

著書には「腹に落ちる」という言葉が何度も出てくる。社員ととことん語り合い、納得してもらったうえで、やっと変革の道を進めるという思いがあるのだ。「腹落ちさせれば、社のパワーになるのです」

今、日本マイクロソフトのトップとして、再びITの世界でイノベーションの道を突き進んでいる。企業は成功すると慢心しがちだが、マイクロソフトは常に進化に対する危機感を持っていると自負する。「ITは今後も時とともに重要になり、それとともにライフスタイルもワークスタイルも変革されていく。当面はデバイスをますます進化させていきたい。日本マイクロソフトを日本に貢献できる会社として育て、そして日本を刺激する存在にしたい。それが私の夢です」

何でも一生懸命やれば身につく

母校にも温かい目を向け、多忙ななか講演などで何度も来校し、本社内でも大学院生と議論の機会を持った。「2大経済圏の一つにある大学として、グローバルに活躍できる優秀な人材の輩出はもちろん、超域人材のようなマインドも含めた教育をしてほしい」と期待を込める。そして後輩達にも「勉強だけでなく、遊びでもなんでも一生懸命やれば、それが多様であればあるほど成長につながる」と呼び掛け、IQ(知能指数)の高さよりも、EQ(感情指数)の高い人間を重んじる。「学生時代だけに限らず、悩んで苦しむことが人間を成長させる。苦労、下積みを経験することが、人間の幅につながるんです」との言葉を、自ら実践し続けている。

本学学生との対談の様子
超域生が、樋口社長に聞く 〜リーダーに必要なものとは何か?〜
http://www.cbi.osaka-u.ac.jp/activity/113.html


日本マイクロソフト株式会社

1986年2月設立 事業内容は ソフトウエアとクラウドサービス デバイスの営 業・ マーケティング。2011年日本法人設立25周年を機に 「日本に根差した 日本の社会から信頼される企業 を目指し 本社を東京都品川区 「品川グランドセントラルタワー」に移した 資本金4億9950万円 従業員2225人 平均年齢39.8歳。

(本記事の内容は、2014年3月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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