StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

研究企画スタッフから社長秘書へ

山岸さんは薬学部時代、恩師の紹介で、すんなりと就職が決まった。薬理学研究室の岩田平太郎教授が、田辺製薬の当時研究開発本部長兼研究企画室長だった千畑一郎氏の旧制浪速高校の後輩で、親しかったという。「だから私は、大学時代に就職活動をしたことがないんです。今から思えば、信じられない話ですよね」

学部時代について尋ねると、「忙しかったですね。特に4年生の時は、早く就職が決まったので、実験に没頭しました。就職した後で『自由な時間がいっぱいできて、うれしいな』と思ったくらいです」

配属された研究企画室は、文献を調査したり、製品開発などに関わる「研究のタネ」を発掘する部署。いわば、研究開発のバックオフィスだった。6年間、ここで直属上司のアシスタントとして、学会発表の資料作りや調査に携わった。ところが、その上司が出世を続け、ついに社長になった。それまで社長の仕事を手助けしてきた山岸さんは、実力を買われ、社長秘書を務めることになったのだ。

田辺製薬に就職したのは、偶然の成り行きだったが、「秘書という仕事を歩むことになったのも、全くの偶然」と笑う。

家族のサポートでスムーズに職場復帰

社長秘書となって、さまざまな方面へ仕事が広がった。株主総会用の資料には目を通さないといけない。財務会計の勉強も欠かせない。会社が発表する「経営方針」の草稿作りに参加することもあり、国内外の経済情勢や業界の動きなど、「各方面への目配せも必要になった」という。

薬学の世界とは全く違うことも学ばねばならなかった。戸惑いもあったはずだが、「自分に与えられた仕事は何であれ必ず好きになろう、最大限に楽しもう」。そんな気持ちで何にでもぶつかっていった。「負けず嫌いなんです」

そのころ、出産直後だった。「慌ただしい時期でしたが、実家のサポートで産後はすぐに復帰できました」。社内結婚だったので、夫から会社の動きを毎日教えてもらえた。おかげで、職場復帰がスムーズにでき、有り難かったそうだ。

ベストセクレタリーに選出

社長秘書を務めて3年目、秘書課長から「日本秘書協会のセクレタリー・コンテストに応募したらどうか」という打診を受けた。「私が?」とびっくりしていたら、「アピールポイントがあるから入賞できるよ」と課長。いわく、「理系の専門知識を備え、新薬開発などの資料を読みこなせる社長秘書は珍しい」。しかも国際会議などでは、英語を駆使して社長補佐もできる国際派だ。

勧めに従って応募すると、課長の予想は見事に当たった。山岸さんは92年の名誉あるベストセクレタリーに選ばれたのだ。「表彰式では、社長も阪大の恩師も心から喜んでくれました。偶然からスタートした私のキャリアですが、こうして実を結んだことに、感謝の気持ちで一杯になりました」

社長秘書としてのキャリアを積み、新しい仕事に挑戦したくなった山岸さんは、さらなるステップアップをめざし、課長試験を受けて合格。秘書課長、秘書室長を経た後、人材育成課長として、新人研修など各種研修の責任者となった。「秘書の経験を生かして、接遇などは自分で講師をしました」

2004年からは、営業本部の人材育成課長として、新人MR(医療情報担当者)に対して、業界の認定資格であるMR認定試験の受験対策を任された。家庭教師さながらに、社員に寄り添いながら勉強を指導。薬学部時代に培った薬理学の知識などが活かされた。長らく8割程度だった田辺製薬社員の合格率を、100%に引き上げた。

成果を買われて大きな転機

そのころ、製薬業界は再編の嵐の中にあった。田辺製薬が三菱ウェルファーマとの合併に向かって突き進んでいく姿を見て、山岸さんは一つの決断をする。

「MR認定試験の合格率底上げが、アストラゼネカに評価されたようでした。ちょうどいい機会だと思い、オファーを受けたのです」。日本市場での躍進をめざす外資系医薬品メーカーにとって、山岸さんがもつ日本風土に適合した人材育成ノウハウは魅力的だった。

ただ、転職を決めてからも、最後まで若手社員の受験勉強に付き合った。「私が退職したのは2007年12月末でした。MR認定試験は毎年12月。もっと早く転職することもできましたが、試験が終わるまでは、みんなとともに頑張りたかったんです」

2008年1月、アストラゼネカに入社して、教育企画グループマネジャーに着任。現在は、人事総務本部で総務部長として重責を担っている。

自己アピール力を磨いてほしい

どんな時も、物事に全力で立ち向かう山岸さん。多忙であるからこそ、趣味を大切にする。

3歳から始め、小学5年生で中断していた日本舞踊の稽古を、最近復活させた。「趣味の時間は、自分をリセットするいい方法です。昔習ったことをやり直せば、途中に空白時間があっても、今からスタートするよりも、もっと上達しますよ」

書道の達人でもあり、阪大では書道研究会の幹部も経験。その腕を生かして、社長秘書時代には、礼状などを毛筆で作成し、相手に対するちょっとした心遣いも忘れなかった。

今でも日本書芸院無鑑査・読売書法展会友として書展に出品し続けている。仕事以外でも、前向きな気持ちで人生を楽しみたいと思っている。

最後に企業の人事サイドから、就職活動にあたって特に外資系メーカーを志望する学生へのアドバイスをもらった。

「企業側は文系、理系出身という目で学生を見ていません。問題は『うちの企業で何をしてもらえるか』。その人の総合力を知りたいのです。語学力や基礎学力は必要ですが、コミュニケーション能力はもっと大切。自分が打ち込んだことを自分の言葉でアピールする力を身につけてください。大阪大学は歴史のある素晴らしい総合大学であり、いろいろな人とキャンパスで交流できる。学んだことを生かして、大学時代も卒業後もプロアクティブに活動してほしいですね」

(本記事の内容は、2013年6月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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