StoryZ

阪大生にも、研究者にも、卒業生にも誰しも必ずある“物語”
その一小節があつまると大阪大学という壮大なドキュメンタリーを生み出します。
それぞれのStoryをお楽しみください。

真面目と不真面目の間で

パソコン片手に取材場所に現れた青野慶久さんは、「グループウェア」国内トップの社長とは思えぬほど気さくな雰囲気で、41歳の年齢よりも若く見える。「子どものころは根性も計画性もなく」「まさか社長になるなんて」といった言葉ばかり出てくるが、「謙遜」という風でもない。

子どものころ、「一つの漢字をノートに半ページずつ書く」という宿題が苦痛で、「3回書けば覚えるから3回ずつでいい」と割り切って提出したら、教師から叱られた。

「真面目と不真面目の間で、締め切りぎりぎりにやるという技を編み出した」。塾に通わず、大学受験も試験日からのカリキュラムを逆算し、高校3年10月から猛勉強した。「エリート路線は僕の美学に反する。だから、東大でも京大でもなく、阪大を選んだ」

運命的な出会い

「パソコン少年」を自称。パソコンとの出会いは、少年時代のプラモデル作りに挫折した経験から。ものづくりの道をあきらめ、パソコンの前身であるマイコンのプログラム作成にのめり込み、今の人生の道へとつながる。

大学のボランティアサークルで、目の見えない人向けに、音声を活用したトランプの大富豪ゲームを作り、賞を受けた。このボランティアの2年後輩が、育児を共にする妻となる。学業でもプログラム作りに熱中した一方で、研究室の憲久教授からは実践的なもの、マーケットに合ったものを考えるよう指導を受け、それが後に生きてくる。そして2年先輩の畑慎也さんとの運命的な出会い。畑さんのプログラムレベルの高さに「とても太刀打ちできない と挫折感を覚え 「あれほど好きだったプログラムの道を捨てました」。

サイボウズの誕生

卒業後、松下電工に入社。配属された営業企画部には、個人用パソコンがなかった。インターネット元年・96年の2年前だ。上司の理解を得て1人1台のネットワーク環境を築き、社内ベンチャー制度でもシステムインテグレーション事業を提案。社内ベンチャー企業を立ち上げたが、満足いくものになりそうもない。入社3年で退社し、同社先輩の高須賀宣さんを社長として3人で「サイボウズ」を起こした。もう一人は、もちろん畑さんだ。大都市でのスタートではなく、松山市の2DKマンションから。「アップルなどはクーラーのないガレージから出発した。サクセスストーリーの第1章は、恵まれていない方がかっこいい」と言うのが、青野さんらしい。母からは「あなたが大企業に長く勤めるとも思っていなかった」と、見透かされていた。会社はめきめき成長して、2000年に東京へ本社を移した。

育児と社業の両立

同社では、多くの社員がより成長し、より長く働ける環境を提供。その一環として、最長6年の育児休暇を認める。出産・育児を経て復職する社員が大半で、育児休暇を取る男性も多い。青野さんも、10年の長男誕生で2週間、11年の次男誕生では毎週1日の育休を半年間取得した。

「会社でも家でもハードワークですよ」というので、家に大量の仕事を持ち帰っているのかと思ったら、「今も家では育児、掃除、洗濯などで忙しい。子どもを風呂に入れ、保育園へ送ることもある」という。でも3歳と1歳の笑顔が、仕事の活力となっている。

イクメン社長が学ぶこと

社業としても副次効果が出ている。自分が育休の間、仕事をできるだけ任せた部下が、それをやりこなしてくれた。「日本の長期低迷の根本原因は、少子高齢化。その大きな要因は、育児という大変で大切な仕事を男が担っていないからです。男も女も育児に携わることで、人類の未来を創造していく」。青野さんが語ると、どんなことも壮大なロマンに聞こえる。

公明正大な人材を求める。チームワークが重要な仕事の中で、うそやハッタリは弊害となるからだ。入社試験面接では「愛媛県にみかん農家は何軒?」など、即答できないことを質問。ここで、中途半端に取り繕うような者よりも、正直に「分かりません」と認める若者を信頼する。

父親として、社長として、双方に共通することは、「真剣に向き合うこと」。子どもも、社員もこちらをよく見ている。手を抜いて接するようなことはしたくない。

夢は世界一

仕事にかかる時は、猛烈に働く。「松下に勤めていたころは、さぼる癖があって、朝寝坊もよくしたとおっしゃっていますが?」と失礼な質問をしたら、「サイボウズを創業してからは仕事バカになりました(笑)。日本一になった今の夢は、世界一のソフトウェアメーカーを目指すこと。世界中の人に使ってもらえる商品を作るためならどんなことでも我慢する覚悟でいるし、真剣に命を懸けられます」と語る表情は、少年のようにさわやかだ。

そして後輩たちに「得意技を磨いて、自分に向いていることに没頭してほしい。起業を目指す人も、それはあくまでも手段。やりたいことを実現するために起業してほしい」とエールを送る。

(本記事の内容は、2013年3月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)

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