山中博士のノーベル医学・生理学賞受賞に思う:改めて基礎研究の重要さを問う 平野俊夫(学術の動向より) (2012年12月19日)

2012年12月10日、スウェーデン・ストックホルムのコンサートホールでノーベル賞授賞式が開催され、山中伸弥京都大学教授がメダルと賞状をカール16世グスタフ国王から授けられた。ノーベル医学・生理学賞は利根川進教授が1987年に「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」で受賞して以来2回目、実に25年ぶりの快挙である。一人の生命科学研究者として、また日本人の一人として、今回の山中教授のノーベル医学・生理学賞受賞に対して深甚なる敬意を表するとともに、心よりお祝いしたい。

山中教授の受賞は英国ケンブリッジ大学ガードン研究所のジョン・ガードン教授との共同受賞であり、その受賞理由は「成熟した細胞がリプログラミング(初期化)され多能性を獲得しうる」ことに対してである。この中で山中博士の貢献は4つの遺伝子を導入する事で成熟した細胞の運命を初期化し多分化能を有する人工の多能性幹細胞(iPS細胞)を作成することが可能であるという発見である。

山中博士が創りだしたiPS細胞により、再生医療や創薬開発が画期的に進むという期待が大きくなっている。山中博士自身も今後iPS細胞を応用した再生医学や創薬開発に全力をあげたいと熱意を込めて語られている。このことはまさに世界の医学・薬学分野や製薬業界の大きな期待であり、社会の熱い期待でもある。今や人類は脊髄損傷や肝硬変などの組織や臓器が機能不全に至った患者に対する再生医療を現実のものにしようとしている。またアルツハイマー等の難病に対する創薬開発の加速化が大いに期待されている。この点は大変素晴らしいことである。またiPS細胞の研究を加速する為に、国が研究費を投入して行く事も大変重要なことであり、大いに推進すべき事である。

ただ我が国全体の科学技術・学術政策の観点から考えると、また我が国の将来にわたる持続的な科学技術・学術の発展の為には、今回の山中博士のノーベル賞の受賞理由を今一度真摯に考える必要がある。その考察の延長線上には、画期的な科学技術の発展を伴う高いレベルのイノベーションには、高いレベルの基礎研究が如何に重要であるかという観点が見えてくる。

我々人間や動物の体は、受精卵という一つの細胞が分化と増殖を繰り返しできた神経細胞、筋肉細胞、皮膚細胞、肝細胞、あるいは血液細胞等、実に多様な機能を有した様々な細胞から構成されている。人間のケースでは実に60兆個もの多くの多様な種類の細胞で構成されている。これらの細胞はすべて一個の受精卵をその起源とする。乃ち受精卵は将来体の全ての種類の細胞に機能分化する能力、多分化能を有している。このような機能を有する細胞は多能性幹細胞と呼ばれている。多能性幹細胞としては受精卵のみならず、受精卵から派生した初期胚に由来する胚性幹細胞(ES細胞)がよく知られるが、臍帯血や骨髄、脂肪組織などにも、限定された多分化能を有した組織幹細胞と呼ばれる細胞が存在している。これらの幹細胞が多様な機能を有した細胞に分化する過程は不可逆的変化であり、皮膚細胞等様々な細胞に分化した細胞は再び多分化能を有する幹細胞に戻る事はないと考えられていた。この常識を覆したのは、1962年のガードン教授の発見である。乃ちアフリカツメガエルの受精卵の細胞核を除去したのちに、成熟した腸上皮細胞の核を移植しても通常のオタマジャクシへと成長できる事を示した。乃ち成熟した腸上皮細胞の細胞核には将来体の多彩な細胞に分化できる全ての情報が保存されている事を発見した。この事実は機能分化した細胞の細胞核の状態は、何らかの刺激で再び多分化能を獲得できる事、乃ち細胞の運命を初期化することが出来る可能性をしめした画期的な発見である。同じ事が哺乳動物でも起こる事が、羊やネズミ等の核移植によるクローン動物作成により明らかにされた。この間に、マーチン・エバンス博士により胚性幹細胞の樹立が報告された(2007年ノーベル医学・生理学賞)。

永らくこの細胞運命の初期化機構は不明であった。また多くの研究者が幹細胞の多分化能の維持機構を精力的に研究した。山中博士もこの点を追求していた研究者の一人であった。山中博士はこれら胚性幹細胞の多分化能維持に必要と考えられる遺伝子群に注目して、2006年にマウスの繊維芽細胞に4種類の遺伝子を導入する事により未熟な多分化能を有した細胞、乃ち胚性幹細胞と同じ能力を有した細胞にリプログラミング(初期化)する事が出来る事を発見した。この人工的に作成した胚性幹細胞をiPSと命名した。この研究成果がCell誌に発表された時の生命科学者の驚愕は今でも鮮明に覚えている。

1990年代には、細胞の運命決定のプロセスが必ずしも非可逆的ではなく、他の分化系譜の異なる細胞に変化したりすることが実験的に示され、細胞の分化過程が必ずしも不可逆的でないことが明らかにされつつあった。また上述のガードン博士が行なったカエルの細胞核移植実験により成熟細胞核の状態が初期化されることが明らかだったが、初期化が可能であるとしても複雑な要因が関与しているのではないかと考えられていた。それがわずか4種類の遺伝子を導入する事で完全に細胞の運命を初期化できるという山中博士の発見は世界の科学界から驚きをもって迎えられた。初期化の機構解明に道を開いた画期的な発見である。

このように、今回の山中博士のノーベル医学・生理学賞の受賞理由は決して、iPS細胞の再生医学や創薬開発への応用ではない。あくまでも「細胞運命の初期化」という純粋学術的研究成果に与えられたものである。山中博士も受賞後の記者会見で話しておられるように、将来iPS細胞を応用して再生医学や創薬開発で成果をあげた研究者がノーベル医学・生理学賞を受賞する可能性がある。山中博士自身が将来この理由で2回目のノーベル医学・生理学賞を受賞される可能性も十分にあると考えられる。このように、今回の山中博士のノーベル賞受賞は、高いレベルの科学技術の発展の為には如何に高いレベルの深い基礎的学術研究が重要であるかを物語っている。

今、世界は爆発的な人口増加や食料問題、エネルギー問題や環境破壊、そして感染症など地球規模での複合要因的問題や、増々複雑になる経済や政治問題など様々な問題や危機に直面している。我が国でも、東日本大震災やそれに続く原子力発電所の事故など、戦後最大の課題に直面している。しかし、魔法のようなすばらしい解決法はない。困難なときほど、基本に立ち戻ることが必要である。今こそ物事の本質は何かを真摯に問いかける必要がある。

我が国の将来は科学技術・学術の推進や若手人材を育成する事にかかっている。今や一国の存亡はその国の科学技術・学術の力や人材育成にかかっていると言っても過言ではない。その観点からも、今後基礎研究の推進と若手人材の育成が国家戦略として増々重要になると考えられる。日本は国力に見合う科学技術・学術振興をすべきであり、基礎研究をもっと重視する事こそが今後日本が生きていく道であるという事を忘れてはならない。日本の科学研究予算額は現在(2010年)、アメリカに次ぎ世界2位だが、国内総生産(GDP)にしめる政府負担の科学研究経費は0.69%であり、これはアメリカ(0.91%)、フランス(0.89%)、ドイツ(0.84%)、韓国(1.0%)に劣る。

これまでの日本の科学技術・学術の発展に文部科学省の科学研究費補助金(科研費)は大いなる貢献を果たして来たことは事実である。特に持続的な科学の発展と画期的な発見のためには科学における多様性を担保するとともに、成果を期待するよりもより多くの可能性を追求するという姿勢が重要である。この意味でもボトムアップ型の研究費である科研費は日本の科学技術・学術の発展に大いに貢献して来たと言えるし、今後も増々重要となると考えられる。事実山中博士の今回の受賞は科研費なくしては語る事は出来ない。しかし、現在の科研費の仕組みは、我が国の科学技術・学術のさらなる発展と国際競争力の向上をめざして不断に改善して行く必要がある。科研費の制度をもっと簡素化して、例えば1件あたりの研究費の額に応じてA, B, C, Dなどに分類して、その期間も5年位に延長してはどうかと思う。科研費の中間評価や事後評価は全て廃止し、科研費の採択審査の段階で今後の研究計画のみならず以前の研究費による研究成果を合わせて、より綿密かつ厳格に評価するように改めてはどうかと思う。また科研費のようなボトムアップ型の研究費と戦略的創造研究推進事業のような課題解決型のトップダウン的研究費の規模のバランスとそれぞれの規模を国力に相応しいものにする必要がある。

国全体の科学研究予算の総額は減らすのではなく、国の存亡をかけて、国力に見合ったレベルまで引き上げる必要がある。驚くべき事実は、2000年度を100とした場合の科学技術関係予算の推移を見ると、日本は109(2010年度)だが、中国、韓国はそれぞれ589(2009年度)、254(2010年度)だ。イギリスは132(2009年度)、アメリカは172(2009年度)だ。ドイツ、フランスもそれぞれ、162(2007年度)、 129(2010年度)だ。いかに日本が科学技術を軽視しているかがこれらの数字からも明らかだ。このままでは、日本は確実に世界から取り残される。

日本が持続的に今後も発展していく為には、50年、100年先を見据えた裾野の広い基礎科学の振興が重要であるという事をもっと認識してほしい。現代の人類の繁栄がルネッサンス以降の基礎科学の発展抜きにしては語れない事、そして基礎科学に基づいた科学技術の発展に支えられてきた事を忘れてはならない。もう一つ忘れてならない重要なことは、科学技術・学術は単に社会に役に立つだけでなく、子供に、次世代に、日本の将来に、大きな夢を与える事が出来る事だ。人間は衣食住足りて満足する生き物ではない。芸術や学問など心を満たす夢やロマンなど、「何か」が必要である。国にとり、国民に夢と希望を与え、心豊かな平和な社会を築く事こそが最も重要なことであると考える。またそれ以上に大変気になるのは高等教育への公財政支出(対GDP比)がOECD加盟国31カ国中最下位であるという点である。この点も大いに憂慮される。

国立大学の運営費交付金が毎年減額されている現在の状況は大学教育の破綻を招くであろう。さらに大学教職員の待遇の悪化は、それ自体が欧米やアジアのそれと大いに見劣りし、優秀な教員が日本の大学から姿を消す日が現実のものとなるかもしれない。”国家100年の計は教育にあり”という言葉がある。教育や基礎科学を軽視する国には将来の展望は描けないと杞憂するのは私一人だけであろうか?

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