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一、適塾の沿革

一、適塾の沿革 - 適塾から大阪大学へ -

適塾外観 適塾の塾主は緒方洪庵(1810~1863)である。当代きっての蘭方の医者、学者であって、教育者でもある。

1838年(天保9)から1862年(文久2)の25年間大阪・船場にあって塾を開き若き人々の教育にも多大の精力を注いでいた。その力量を知る幕府は1862年(文久2)、江戸に召しだし奥医師とすると同時に西洋医学所の頭取としたのである。洪庵不在の時期も義弟や子息、門下生達は塾を守り、さらに分塾をするほどに発展したが、明治新政府の教育制度の整備と共に発展解消し、大阪医学校、府立医科大学、さらには大阪大学へと発展し、今日にいたっている。

適塾は全国から駆けつけた塾生にあふれ、談論風発の気風はその後の明治維新の激動の中、日本の近代化に大きく貢献した多くの人材を輩出している。そんな塾生には福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などがいる。

 

詳しくは大阪大学の歴史をご覧ください。

福沢 諭吉 大鳥 圭介 橋本 左内 大村 益次郎 長与 専斎

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