OSAKA UNIVERSITY GUIDEBOOK 2015
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適塾ホーム > 大学案内 > 大学の概要 > 大学の沿革パソコンからTime学ぶ情熱を受け継ぎ、未来を創る。大阪大学の原点は、江戸期に大阪で発祥した「適塾」です。その自由な気風と学問への情熱   そしていま、創立100周年を迎える2031年に世界トップ10の研究型総合大学「世界適塾」   大阪大学のこれまで  1931年に創設された大阪大学。その原点となるのが「適塾」です。適塾は、備中足守藩(現岡山市北区足守)出身の緒方洪庵が江戸や長崎で蘭学・医学を修行後、1838(天保9)年、大坂・瓦町に医院とともに開いた私塾。7年後、いまも建物が残る過書町(現中央区北浜3)に移転し、計25年にわたって種痘法やコレラ治療法の研究を進めるとともに、福沢諭吉、大村益次郎、長与専斎、大鳥圭介、佐野常民、橋本左内などをはじめ明治を切り開いた1,000人近い塾生を育てました。 適塾の精神“人のため、世のため、国のため、道のため”は、1869年に明治新政府が洪庵の二男・惟準(これよし)やオランダ人教師・ボードウィンを迎えて開いた大阪仮病院や大阪医学校に継承され、大阪府立医科大学、大阪帝国大学医学部を経て、本学に脈々と受け継がれています。 一方、文系学部の精神的源流と位置付けられているのが「懐徳堂」です。懐徳堂は1724(享保9)年、大坂の尼崎町(現中央区今橋)に創立された町人による町人のための学問所。西日本の学問の中心として150年近くも栄えましたが、戦災で焼失。本学に法文学部が加わる際に、戦火を免れた蔵書類が「懐徳堂文庫」として寄贈されたことにより、その独創的な学問と思想・文化を継承することとなりました。 本学は自由と進取の精神と時代の要請に応えるという熱意を基軸とし、新しくユニークな学部・大学院・研究所などを次々と整備し、現在は吹田・豊中・箕面の3つのキャンパスをもつ研究型総合大学となりました。そしていま、“22世紀に輝く”という長期的視野に立ち、創立100周年を迎える2031年に世界トップ10の研究型総合大学になることを目指しています。創設時から流れ続ける精神を受け継ぎながら未来へと大きく羽ばたくため、さまざまな取り組みを行っていきます。適塾を原点とし、22世紀に輝き続ける「世界適塾」へ。大阪大学が継承する理念。緒方洪庵(五姓田義松画)初代総長(1931年) 長岡 半太郎「糟粕ヲ嘗ムル勿レ」そうはくななか第11代総長(1979年) 山村 雄一「地域に生き世界に伸びる」第6代総長(1954年) 正田 建次郎「科学と技術の融合により 真の文化を創造する」12

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