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特別企画・平野俊夫総長編 Vol.1

「住吉は住吉さんとともに栄えた町

南海本線住吉大社駅を降りると目の前が住吉大社。その鳥居から西約400㍍、国道26号と交差するあたりに、巨大な高燈籠がそびえる。かつては、ここから海が広がっていて、神功皇后の孫、仁徳天皇が造った津(港)の目印だった。ここら一帯の海岸沿いに松がずっと続いて、白砂青松の歌枕の地として、万葉集などにもよく詠まれた。

平野 「住吉大社は、古事記・日本書記によると、神功皇后摂政11年すなわち211年に創建されたとあるように、1800年の歴史を有する我が国でも最古の神社の一つです。日中交流1400年の長い歴史は、聖徳太子が607年に小野妹子を隋に派遣したことにより始まったとされます。618年に隋が滅びて唐の時代となってからは遣唐使として日中交流の要となりました。この遣隋使・遣唐使は仁徳天皇が開いたとされる住吉津より旅立ちましたが、その旅立ちにおいて、住吉大社で航海の無事を祈ったと言います。このように住吉大社は古来より世界への玄関でした」

平野総長のガイドを聞きながら大社を目指して住吉公園をゆっくり歩いていく途中、園内で遊ぶ子どもたちに平野総長が目を細めた。

平野 「子どもの頃、ここの砂場でよく遊んだなあ。自宅から徒歩約15分、もっと小さい時は、父が日曜日によく連れてきてくれた。(レリーフの記念碑を見ながら)古代海岸線は松林が延々と続いていました。今でも所々に残っています。(松林で思い出したように)夏には浜寺水練学校にも通っていたこともあります。住吉の松は歌枕として万葉から有名で、近くに万葉の権威、犬養孝(いぬかいたかし)・阪大名誉教授(故人)の家がありました」

由緒ある御田植神事や観月祭

鳥居をくぐるとすぐ、目の前に有名な太鼓橋が姿を現す。住吉大社のシンボル、半円形の急な階段を上っていく。

平野 「今は歩きやすくなっていますが、昔は、板の間にすきまがあって下に落ちそうで、子ども心に怖かったです。中秋の名月の日、美しく光る満月の下の太鼓橋で舞楽が披露される『観月祭』は幽玄の世界へと誘います」

石舞台、6月に御田植神事(おたうえしんじ)の行われる御田(おんだ)、一寸法師発祥の地のモニュメントなどを見ながら散策。平野総長にとって、公務の疲れを癒す散歩コースだ。緑の少ない大阪で、ここは格好の名所となっている。図書館の起源とされる「御文庫(おぶんこ)」の前を通った。説明文に「1723年設立」と記されているのに気づいた。

平野 「大阪町人の学問所である懐徳堂の設立(1724年)とほぼ一緒やったんやなあ。学問の歴史を感じます」

遣隋・遣唐使船にも思いをはせ

ほどなく、大社の髙井道弘宮司が出迎えてくださり社務所で歓談した大阪を住吉を愛する気持ちが共通していて、すぐに打ち解けた。髙井宮司が「本大社を大事に思っていただき光栄です。逆に大阪大学の総長が住吉から出たことは誇りです」。そして「万葉の時代、住吉は『すみのえ』と読みました。平安時代になって『すみよし』と読むようになったようですと教えてくれた今では住吉の隣が「住之江」だ。同大社には本宮が4つあることから、遣唐使船が4隻で構成されたとも伝わる。

平野 「いつから読み方が変わったのか、疑問に思っていましたが、髙井宮司の説明で納得しました。仁徳天皇が開港した津から、遣唐使たちは住吉大社に参った後に世界を目指しました。住吉大社は大阪の宝であると同時に、『適塾』の精神を受け継ぎ『世界適塾』を目指す大阪大学の澪標ともいえます」

今年の大相撲春場所の際、本殿前で横綱の土俵入りが行われたこと、平野総長が二人の孫を抱えて見物したことを話したり、「私の実家のすぐ前を住吉大社の御輿が練り歩くのは勇壮でした」と回顧するなどして、話はますます盛り上がった。

※続きは、NewsLetter2014特集号(8月下旬発行予定)へ

●平野俊夫(ひらの としお)

1947年大阪市住吉区(現表記は住之江区)生まれ。市立安立小学校、同住吉中学校、府立天王寺高等学校へ進学。1966年阪大医学部入学。中学では天体観測、高校ではバイオリン、部活はハイキング部。大学では医学部山岳部に所属。富士山以外の3000m級の山はすべて登頂。休日はスイミングなども。趣味は音楽鑑賞と読書。愛車のアウディTTでたまにドライブも。総長職が多忙で、なかなか時間が取れないのが残念という。

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