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あだち幸さん(友禅画家)

 

苦悩の末に独特の画法

 友禅画は、上質の絹地に染料を重ね、貝殻からできる白い顔料、でぼかしを入れる、あだちさん独特の画法。あえて分類すれば「京友禅の手法を基本にした日本画」といえる。20以上の複雑な工程で成り立つ友禅染は、多くの職人の分業により完成するが、あだちさんは「蒸し」「水洗い」など一部を業者に委託するほかは、図案作成から細く輪郭を描く「ゴム糸目」、彩色、仕上げまでほとんどの作業を一人で行う。

大阪外国語大学で英語を学んだあだちさんが、友禅画家として歩み始めたのは42歳の時。友禅画にたどり着くまでには、納得できる「何か」を見つけあぐねた苦しい時期もあった。

キャンパスで知り合った3歳上の足立勝さん(ロシア語科卒業)と大学卒業1年後に結婚。商社に勤め海外勤務もある勝さんとの生活は、互いの自由な時間を尊重するというものだった。仕事に奔走する勝さんに対し、あだちさんには打ち込める仕事も趣味もなく、「何者でもない自分」が不甲斐なかった。京都の自宅と故郷の岡山県井原市美星町を行き来する暮らしの中で、父の親友の院展作家に日本画を習ったり、水墨画を手がけたりしたこともあったが、静物写生や決められた構図を描く絵には馴染めず、続かなかった。ただ「何かを表現したいという欲求は絶えずありましたね」と振り返る。

追い求めて仏教本に傾倒

やがて勝さんの転勤に伴い、東京に転居。「何かになりたい」「自分の手で収入を」と模索は続き、大学で学んだ英語を生かそうと翻訳の専門学校へ通い猛勉強した。下訳を任せられるまでにはなったものの、仕事と東京の生活が重荷となり始める。星が輝く緑豊かなふるさとで、小さな生き物や草花に心を寄せながら育ったあだちさんには、大都会での日々は耐えられないものになっていた。この頃、救いを求めて仏教や哲学の本を読む中で芽生えた仏への「憧憬」が、のちに描く仏の「形象」へとつながっていく。

勝さんが転勤を申し出て2人は京都へ戻り、ふるさとのあたたかさにもふれて、あだちさんは心の落ち着きを取り戻す。そんな時、友禅染を体験できる市民講座に参加したのが転機となる。などの小物作りは楽しく夢中になれた。さらに、ふと「仏様のお姿を描きたい」と湧き出た思いを形にしたのが、友禅画家への第一歩だった。勝さんの実家が京都市内で呉服商を営んでいるつながりから、京友禅作家に師事。あだちさんの独自の画法は注目され、87年には京都クラフトセンターで初の個展「ほとけたち」を開き、その後、関東や関西、故郷の岡山などでも作品展を開催した。

壬生寺に障壁画ふすま絵奉納

89年に京都・壬生寺の千体仏塔に観音画を奉納した縁で、本堂の障壁画とふすま絵を手がけることになり、4年がかりで完成させた。本尊の三方を取り囲むふすま8面と壁面6面(高さ約2.7メートル、全長約30㍍)に、現世から極楽浄土へと連なる命の永遠性、平等、平和への願いを表現した大作だ。

「弱いものが虐げられ、人間中心の論理が自然や人心を汚染する現実を前に、自分のあまりの非力に惑います。そんな私でも、描くことで一隅を照らし、どなたかの魂に響いて共感の和を広げ、絵を見られた方が利他の行動に結び付けてくださったら、これ以上の喜びはありません」と語る。また「無数の語学の達人なくしては、文明の興隆もありえなかったことを思えば、語学に習熟することによる可能性、使命は無限」とした上で「それでも言葉では伝え得ないものがあり、それを図像で表すのが曼荼羅」ととらえる。

 

「才能満ちあふれる阪大」

高校で英語が得意だったので選んだ英語科は「(大阪外大に)入学してみると、周りはできる人がいっぱいでやる気をなくし、さぼってばかりでした」と笑う。とはいえ、当時のノートを繰れば、「良寛研究の東郷豊治先生の心理学や、甲元健雄先生(英文学概論)の東洋と西洋の文明の違いについての授業などは、今思えば、現在の私につながる大事なことを教えていただいていたのだなあとわかります」。統合で大阪大学外国語学部となったことで「語学の修練のみならず、総合大学ならではのさらに豊かな学びが大切にされるといいですね」と期待する。

「今まさに、あらゆる生命の共存共栄、循環型社会を目指し、方向性を見きわめる時にきていると思います。各分野にきらめくような才能が満ちあふれている大阪大学の力を結集すれば、科学を敵にすることなく世界をよい方向に変えていけるはずだと、ワクワクしているのですよ。『世界でトップ10の研究型総合大学へ』とのことですが、ナンバー1、オンリー1も目指せるのではないでしょうか」

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