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神余隆博さん(関西学院大学 副学長(国際戦略本部長)、元駐独大使)

多くの人々に支えられた学生時代

神余さんが入学した頃の大阪大学は、大学紛争まっさかり。「1年近くも授業が開講されないという異常事態でした。私は英語研究会(ESS)に入り、ディベートやディスカッションの練習に打ち込んだものです」

教養科目で吉田民人先生の「社会学」を受講し、人と人の関係や、ゲマインシャフト・ゲゼルシャフトといった共同体の概念に強い興味を持ったことで国際法のゼミに。恩師の川島慶雄先生は、ESSの先輩にもあたる。「当時から、ユーモア感覚にあふれる先生でした。海外の言葉や文化への造詣が深かったなあ」と懐かしそうに語る。

外務省をめざしたきっかけもESSと関係している2年先輩の藪中三十二氏(元外務省事務次官)が、3年生で外務省専門職採用試験、そしてその後上級試験に合格したのだ。「刺激を受けました。ただ、当時は民間の就職状況が良い時代で、周りが早々に採用を決めていく。勉強を続けながらも、不安だけは募る。つらい時期でした」。神余さんも、いくつかの銀行の面接に行った。だが、ある銀行で面接にあたった人事担当の方に本心を隠せず「外交官試験を受けるつもりです」と打ち明けた。その時の反応が温かかった。「難しいぞ。でもがんばれよ。もし不合格になっても、この銀行は無理でも何かの形で応援するから」と背中を押してもらったことは忘れられない。「川島先生にも随分励ましていただきました。思えば、こうした方々の心遣いに助けられましたね」

冷戦時代  欧州の緊張感を体感

ns58_ob02_02.jpg大阪大学を卒業し、外務省に入省した翌年の1973年には、官費でドイツ・ゲッティンゲン大学の法学部に留学。神余さんにとっては初めての海外経験でもあった。「米ソを中心とする冷戦の真最中、欧州が二つに分断された時代でした」。当時の飛行機は、ソ連上空を飛べず、アラスカで給油してから北極点を通過し、コペンハーゲンを経てハンブルクに到着した。

「ゲッティンゲンは東独に近い町でした。東西の境界が鉄条網で区切られ、付近には地雷が埋められている。そういう光景を目の当たりにすると、分断国家で生きていく厳しさをひしひしと感じました」。外務省の先輩からは「語学を鍛えろ、見聞を広めろ、友人を作れ」と言われていたが、「その中でも努力したのは、現地の人との親交を深めることでした」。不器用でもいいから誠実でいたい。人を助けることができる外交官でいたい。と強い信念を持ち続けた。

75年からは、スイス大使館に勤務。

「スイスは永世中立国で、西側・東側双方の情報が入ってくるため、スパイも暗躍していました。そこで働く日々は緊張の連続でした。しかしそんな時代でも、時おり緩和の時期が来ました。強く印象に残っているのは1975年のヘルシンキでの欧州安保協力会議(CSCE)。東西の首脳が参加して、国家主権尊重、武力不行使、国境不可侵などを原則に、経済協力や人道的な交流を推し進めようとするヘルシンキ宣言が採択されました。冷戦が終結したのは、それから14年後のことです。現在の国際紛争を見ても、欧州のこの歴史から学ぶことは多いと思います。たとえば今の東アジアは冷戦に近い状態ですが、その中でも経済、政治、文化の交流は途絶えさせてはいけない。また武力行使は絶対にやってはいけない。これが基本ではないでしょうか」

世界のために働くという使命感

ns58_ob02_03.jpg霞ヶ関に勤務していた92年頃には、PKO法案の担当課長を務めた。午前3時頃まで国会審議の準備をし、翌朝は大臣や局長を補佐するために国会へ向かうといったハードな毎日だった。心配した妻が、眠っている神余さんの呼吸が止まっていないか、確かめたこともあったという。「日本に奉仕し、国連、世界のために働いているという使命感があったから、やり通せたと思います。この時代には、いろいろなことがありました」。国連ボランティア活動に参加していた中田厚仁さんが、カンボジアで総選挙支援中に銃撃により亡くなったのは93年。「彼も阪大法学部出身で、川島ゼミの後輩です。大阪大学に彼を記念した文庫を創設することで、お父さんとも何度も話し合いました」

94年、平和維持活動、経済協力などをテーマとした図書約450冊からなる「中田厚仁記念文庫」が大阪大学附属図書館本館に開設され、今でも約700冊が国際協力やボランティアを研究する学生に活用されている。

自信と誇りを持って前進してほしい

93年から96年にかけ、大阪大学の教壇に立った。「活動的なゼミ生が多かったですね。阪神淡路大震災の時には彼らが学生救援隊を作り、震災ボランティアを買って出ました。自ら救援のしくみを作っていく学生たちを見て、国際貢献のスタートは身の回りの人々への貢献だなと感じました」

現在は関西学院大学に籍を置く。最近、学生たちによく言うのは「自分の中に良いダブル・スタンダードをもとう」という言葉だ。「人と仲良くすることと、人に流されないこと。あえて形に従う時と、自由に行動する時。その両方を考えようということです。それと、もっと自分自身の長所に気づいてほしい。努力は必ず報われる。それが自信と誇りにつながる。今の学生たちは、低成長期しか知らない。そんな時代だからこそ、彼らにも『日本は素晴らしい国』という、正しい誇りをもってほしいですね」

世界を知る教育者としての神余さんの活躍は、まだ続く。

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