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田島和雄さん(愛知県がんセンター研究所所長)

「疫学研究をしていると言っても一般の人にはなかなかわかってもらえません。『易』の研究ですかときかれたこともあります」。疫学は簡単に説明すると健康人と病人の生活背景の違いを調べ、病気の背景要因を科学的に明らかにして予防対策までを立てる。

ここまでの長い道のりを「好奇心と人との出会いが大きいですね」と、次のように話してくれた。

病弱な子ども時代、医学の道に

田島さんは子どもの頃、家庭医から「体が弱くて長生きできない」と言われたが、中学からは健康になり、高校ではサッカーを楽しんだ。「自分のためにも医学を目指そう」と、大阪大学医学部へ。ちょうど、大学紛争の時代で「象牙の塔」に閉じこもらずに地域に出ようと、東南アジア医学研究会に入った。大学の医師や看護師とともに沖縄離島やボルネオなどの僻地で生活調査を行った。

24時間勤務で手術に没頭

 

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当時、農家では腰痛、都会ではキーパンチャーの頸肩腕症候群が問題になっていた時期で、田島さんは整形外科学の研修を終え、浜松市にある聖隷三方原病院へ外科医として赴いた。病院敷地内の宿舎に泊まり、呼び出されれば夜中でも積極的に手術をした。「24時間勤務でしたよ。胸部も消化器の手術も担当し、実戦で経験を積みました。痛みのコントロールにも興味を持ち、毎週土日に針麻酔を学びに東京まで行かせてもらえました」。

 

病理学に魅せられ、ATLと対峙

ここで第一の出会いがあった。病気の診断に一番重要な役目を果たす病理診断には外部から4人のベテラン病理診断医が交互に来ていた。当時の病理所見は口述筆記で田島さんは顕微鏡をのぞく病理診断医の横で言われるままに筆記をする。「同僚は、診断医の聞き取りにくいドイツ語が苦痛でこの業務を嫌がりましたが、私にとっては毎回発見がある時間でした」。

最初のボーナスで顕微鏡を買い、病理学をもう少し勉強したいと思っていた頃、愛知県がんセンターのレジテント制度を知って病理診断学コースに応募。「2年間、窓のない世界で病理標本と向き合っていました」

この時に田島さんの生涯の一つのテーマともなる成人T細胞白血病(ATL)の病理標本に出会った。ATLは九州を中心に患者が多いこともわかった。当時の疫学部長が大学の先輩で、田島さんの疫学の師匠ともなる富永祐民氏だった。病理学の研修中にも疫学部(現疫学・予防部)に顔を出していたこともあり、レジデントが終わったときに「コンピューターが動かせることが条件」といことで疫学部の研究員に誘われた。2、3年わらじを脱ぐつもりが疫学の世界にどっぷりとつかることになった。

五島列島を中心に流行調査

疫学を志したころは日本の消化管がんの流行変動の時期だったので、田島さんは消化管がんとATLの要因探索をテーマに研究を始めた。日本人が提唱したATLの研究は加速的に進み、その原因となるATLウイルス(HTLV-1)も発見された。田島さんは五島列島を中心にウイルスの流行調査を行い、ウイルス感染者が家庭内に留まり、親子・夫婦間で感染することを突き止めた。ウイルス発見から10年間で予防対策まで立てることができたのは医学的にも画期的な成果である。また、HTLV-1感染が閉鎖的な僻地社会で濃密に、移動の多い社会では希薄になることもわかってきた。

日中の国交再開後、愛知県も江蘇省と友好提携し、がん研究の交流開始により1982年に江蘇省腫瘤院に派遣された。中国人のHTLV-1感染の有無を調べるべく血液採取を計画したが、国策として中国人の血液を国外に持ち出せないことがわかった。たが、中国政府の計らいで帰国時に「友好交流の証」として100人分の血液が提供された。そこから感染者が見つかったのだ。「しかし、その血液は九州出身の日本人のものであることがわかりました。中国人の妻には国際感染していました。その後の大規模調査で中国本土には感染者がいないことが判明しました」

世界的感染分布も調査

さらにHTLV-1の世界的感染分布を知ろうと、インドネシアから血液調査を開始し、アジア地域では日本列島以外に感染者の集団はいないことがわかった。そして、1988年、大きな出会いがあった。鹿児島で開かれたWHOによるHAM(HTLV-1関連脊髄症)の会議でコロンビアの研究者が「コロンビアにもHAMの症状に似た患者がいる」と、話しかけてきたのだ。

さっそく共同研究者でもある鹿児島大学の園田俊郎博士とコロンビアの調査に赴き、日本人と同じHTLV-1感染者がアンデス地域に生存していることを確認した。その後、カリブ海沿岸、アマゾン熱帯雨林、パタゴニアなど僻地の南米先住民への大がかりな採血調査を行い、アンデス高地でのみ感染者の残存を確認した。しかも、古代ミイラの骨髄からプロウイルスDNAを抽出し、その塩基配列からアイヌ民族のものと相同する事実を導き、日本人と同じモンゴロイド集団が南米アンデス地域にも移動していった可能性を示唆した。

「コレクション」を世界に提供

世界中の先住民族から採集された血液は現在、理化学研究所バイオリソースセンター(つくば市)で「園田・田島コレクション」として保存されている。アフリカから人類がどのように拡散していったかを遺伝子レベルで調べる貴重な資料として世界の研究者に提供する体制が整えられている。「これこそセレンディピティです。ATLの研究が別の価値ある研究の役に立つのですから」と、田島さんは誇らしげだ。

一方で疫学の研究を深めたくなり、85年には国際癌研究機関の奨学金で世界的に疫学研究の盛んな米国のジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生学部の修士課程に入った。「日本の大学と違って毎日のように宿題とレポートに追われる勉強漬けの日々だった。」その1年の間に、愛知県がんセンターの新来患者の8割はがん患者ではないことに気付き、帰国後、がん患者と非がん患者のライフスタイルを比較する大規模な病院疫学研究を開始した。

年間1万人近い患者データを蓄積しつつ研究成果を世界的な医学雑誌に投稿した。しかし「比較群の非がん患者は病院受診者というバイアスがかかっている」と、ことごとく不採択となった。そこで、田島さんは名古屋市の選挙人名簿からランダムに2,000人の一般市民を抽出し、彼らの生活習慣が病院の非がん患者と変わらないことを疫学的に証明した。それ以来、病院疫学研究(HERPACC)の成果が世界的に認められるようになった。

亡き母が希望した医者になりたい

若い医学生には「病気がなぜ起こるのかという疑問を常に持った好奇心の旺盛な医者や研究者になってほしい」と、研究を志す医学生が減っている現状を嘆く。

田島さん自身は「古希を迎えたら、若いころからの夢だった地域医療を実践したいですね。亡くなった母親の希望でもある“医者”になるために」と、夢の実現に向かって歩み続けている。

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