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3人の「専門歯車」をかみ合わせ、免疫システムを解明する

免疫細胞の移動を可視化し解析する研究

「蛍光生体イメージング技術の開発と細胞遊走ダイナミクスの統合的解明」とは、細胞や生体分子を光らせて挙動を可視化し、観察結果を数値化することで、免疫システムの解明や薬効評価につなげようとする研究だ。

免疫細胞(白血球)は骨髄で作られ、全身の血管を介して体内をパトロールしている。そして生体内で感染や炎症が生じると移動の速度を緩め、血管の外に出て炎症・感染部位に向かう。「私たちは、免疫細胞を追跡し、血管壁への接着・浸潤などを識別する方法を開発し、免疫システムの基盤となる細胞遊走の仕組みを解明しようとしています」と、研究代表の菊田順一助教。さらに、「関節リウマチのような自己免疫疾患は未だ原因が不明で、病態解明や治療法の開発には、まず正常な免疫システムを理解する必要があります。緑色蛍光タンパク質(GFP)や化学プローブ分子を使用したライブイメージング技術(生体分子が生きた細胞の中でどのように振る舞うかを可視化する技術)を駆使することで、免疫システムの基盤となる様々な細胞の相互作用に迫ることができます」と研究の意義を語る。

学・学・情報科学をかみ合わせ研究を効率的に

医学・工学・情報科学という異分野で活躍する3人の研究者が連携したことで、「仮説を立てて生体内を撮影する」「蛍光分子をデザインし観察する」「観察画像を解析し数値化する」という効率的な流れが構築され、研究は順調に進んでいる。

免疫細胞生物学が専門の菊田助教の役割は、「蛍光標識された免疫細胞の働きを見るため、生きた組織内の細胞遊走を動画で撮影し観察すること」ケミカルバイオロジ(物質生命工学)が専門の堀雄一郎准教授は、体内にある特定の生体分子を光らせる技術(化学プローブ)を開発した。「選択的に結合し、結合した時だけ光る分子構造などを考え、精密にデザインしていきました」。そして、バイオインフォマティクス(計算機科学を生物学の問題解決に応用する分野)の研究に取り組む瀬尾茂人助教は、細胞の動きを追跡するための画像処理と、データマイニング(ビッグデータをコンピュータで解析し有用な知見を得る)による解析を行った。「動画の場合、人間による目視観察では実験結果の有意性についての判断が難しい。情報技術を駆使し統計処理することで正確な評価が行えました」

長期的な視野で研究を進める事の大切さ

今回の異分野融合研究の成果について3人は、「個々人が高いレベルの技術を持っていても、学際的な研究は一人では進められません。それぞれの技術を足すのではなく、3人の専門性を歯車のようにかみ合わせたことで研究を前進させることができました」。さらに、「年齢が近いので、お互いに刺激しあえた。自分の知らない分野についても学べました」「自身の専門分野に閉じこもっていてはわからないことがある。情報技術についての知識が得られたことも大きな財産」と、共同研究ならではのメリットを語る。

また今回、強いモチベーションとなっているのが最長3年間の研究費助成だという。「若手研究者間の連携や共同研究を対象とした助成・補助金制度は限られており、長期の研究費をいただけたことは非常に嬉しかった。研究は短期間で成果を出すのは難しく、長い目で支援していただけると有り難い」と継続的な支援に期待を示した。

今後については、「私たちのライブイメージング技術は、病態解明だけでなく、既存あるいは開発中の薬剤の作用も評価できる。解析結果を臨床現場に還元することで、患者さんごとの薬剤の使い分けなど個別化医療などにつなげていきたい。未来知創造プログラムが終了しても、3人による共同研究を積極的に進め発展させていきたいですね」と口をそろえる。

 

医学・Medicine

●菊田順一(きくた じゅんいち)

2006年大阪大学医学部医学科卒業。13年大阪大学大学院医学系研究科予防環境医学専攻修了、博士(医学)。国立病院機構大阪南医療センター・リウマチ科専修医、日本学術振興会特別研究員を経て、13年大阪大学医学系研究科助教。


 

工学・Engineering

●堀 雄一郎(ほり ゆういちろう)

1999年京都大学薬学部卒業。2004年京都大学大学院薬学研究科博士課程生命薬科学専攻修了、博士(薬学)。ロックフェラー大学博士研究員、大阪大学工学研究科助教を経て、16年同准教授。


 

情報科学・Information Science and Technology

●瀬尾茂人(せのお しげと)

2001年大阪大学基礎工学部情報科学科卒業。03年同基礎工学研究科情報数理系修了。06年同情報科学研究科バイオ情報工学専攻修了、博士(情報科学)。情報科学研究科助手を経て、07年同助教。


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