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大阪大学・大阪外国語大学統合

大阪大学・大阪外国語大学統合
大阪大学と大阪外国語大学を結ぶ糸

本日ここに、長い歴史と伝統をもつ大阪大学と大阪外国語大学が統合いたしました。
大阪大学は、1931年(昭和6年)、理学部、医学部を母体に第6番目の帝国大学として大阪中之島の地に創設され、その後周辺の大学・学校と統合し、日本を代表する総合大学の一つとして太い道を刻んできました。
大阪外国語大学は、1921年(大正10年)、大阪上本町の地に9語部からなる大阪外国語学校として創立され、以後外国語教育・研究の西の雄として大きく発展してきました。大阪市の北と南に生まれ、いまは北摂の地にある両大学が一つの大学になったことに、わたしは歴史的な意義と不思議な縁を感ぜずにはいられません。
1944年に大阪外国語学校蒙古語部を卒業した司馬遼太郎氏は、「花神」の冒頭で次のような一文を書いています。
「『適塾』という、むかし大坂の北船場にあった蘭医学の私塾が、因縁からいえば国立大阪大学の前身ということになっている。宗教にとって教祖が必要であるように、私学にとってもすぐれた校祖があるほうがのぞましいという説があるが、その点で、大阪大学は政府がつくった大学ながら、私学だけがもちうる校祖をもっているという、いわば奇妙な因縁をせおっている」
懐徳堂と適塾の精神を受け継いで設立された大阪帝国大学の創設は、大阪の政財界による政府への熱烈なはたらきかけによって実現したものであり、そこには市民の切なる思いが込められていました。他方、大阪外国語大学の創設も、当時の大阪の実業家・林蝶子女史が「大阪に国際人を育てる学校を」という厚い篤志の下、私財100万円を政府に寄附し設立に至ったという経緯があります。
このように両大学の成り立ちには極めて似通ったいきさつがあります。今風にいいかえれば、よく似た《遺伝子》をもつ者同士ということになるでしょう。両大学がこの《遺伝子》をさらに活かして、日本社会のみならず人類史に大きく貢献できる最高の学問の府となることをめざし、いっそう邁進してまいりたいと思います。

平成19年10月1日 大阪大学総長  鷲 田 清 一

 

 

統合シンボルマーク

個々の球体は外国語学部を加えた11の学部を表現しています。大阪大学と大阪外国語大学が統合によってつながった一つの環となり、それはまた「和」にもつながることを意図しています。つながった環はOSAKA UNIVERSITYの頭文字の「O」を表しています。色は大阪大学のユニバーシティーカラーであるスカイブルーを基調にしています。

 

大阪大学・大阪外国語大学統合記念式典(平成19年10月1日)

平成19年10月1日、リーガロイヤルホテルにおいて、大阪大学・大阪外国語大学統合記念式典を挙行し、両校関係者約500名が出席しました。   式典では、鷲田清一総長による式辞の後、渡海文部科学大臣の祝辞を玉井日出夫文部科学審議官が、国立大学協会から、尾池和夫理事(京都大学総長)が小宮山宏会長(東京大学総長)の祝辞を代読しました。また、海外の学術交流協定校からの出席者が紹介された後、本学混声合唱団による大阪大学学生歌などの演奏が披露されました。   本学ではこの統合を機に、広く内外にこの統合をアピールする意味も込め、統合記念シンボルマークを定め、その披露も合わせて行われました。   引き続き行われた祝賀会では、鷲田総長の御礼の挨拶の後、金森順次郎元大阪大学総長、池田 修元大阪外国語大学学長から祝辞があり、この統合に尽力された宮原秀夫前大阪大学総長、是永 駿前大阪外国語大学学長により乾杯の発声が行われました。   また、途中には本学応援団・チアリーダーによる演舞も行われ祝賀会に花をそえました。

箕面キャンパス校名看板除幕式(平成19年10月1日)

平成19年10月1日、新たに誕生した大阪大学箕面キャンパス正門に、「大阪大学」の校名看板を新たに掲げ、除幕式を行いました。 この除幕式には、鷲田清一総長、西田正吾理事・副学長、小泉潤二理事・副学長、杉本孝司外国語学部長、高橋 明世界言語研究センター長、奥西峻介日本語日本文化教育センター長が出席し、大阪大学の新たなキャンパスの船出を祝いました。

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