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ワインのブショネ(コルク汚染)の生体機構解明―ワインのみではなかった、飲食品のおいしさ破壊の原因は「匂いを感じなくさせる物質・TCA」―

2013年9月17日(火)

リリース概要

大阪大学大学院生命機能研究科 竹内裕子助教、倉橋隆教授、大和製罐株式会社 加藤寛之博士らは、ワインのブショネ(bouchonné、コルク汚染)の主な生体機構が、原因物質2,4,6- trichroloanisole (TCA)による嗅覚経路の遮断によることを突きとめました。ヒトは、ワインに極微量濃度(pptレベル、1兆分の1)のTCAが含まれるだけでワインの風味劣化を感知します。テイスティングでブショネが確認されるとそのワインは廃棄せざるを得なくなり、これによる経済損失は年に1兆円に上るとも試算されます。しかし、TCAがヒトに対してどのように作用するのか全く不明でした。本研究では、TCAを嗅細胞(生体での嗅覚センサー)に投与したところ、薬理学的にも異例な極低濃度で匂いの情報伝達の中心を担うイオンチャネルタンパク質の機能を抑制することが確認されました。更に、TCAの生成はワインのみならず、品質が劣化し市場価値が下がったあらゆる飲食品で見られました。TCAは測定器の検出限界以下というごく微量でヒトに影響を与えるため、商品にわずかに含まれるだけの分子が空気中に漂い、鼻に入るだけで香りを損なうという悪影響を持ちます。ワインのみで経済損失が1兆円であることから、総合的な経済損失は天文学的数字となるでしょう。本研究により、TCAの細胞レベルでの動作原理に基づき、飲食品の風味やおいしさが減少する分子機構だけではなく、効率的な感覚遮断剤、イオンチャネル阻害剤等、薬剤の分子設計にも新しい方向性が開けました。

研究の背景と内容

食べ物の「おいしさ」を構成する最も大きな要因に「香り」が挙げられます。鼻をつまんだり、風邪をひいて嗅覚が機能しなかったりすると食べ物がおいしくないのはこのためです。関連して、飲食品で自然発生する不快なにおいはオフフレーバー(off-flavor)と呼ばれ、食べ物の風味を著しく低下させます。現在までこの「不快なにおい」は、外因的に発生する不快な匂い物質の発生によって引き起こされる別の匂いであると考えられてきました。そのようなoff-flavorを代表する物質にTCAが知られています。TCAはワインのブショネ(コルク汚染)を起こすことで有名な物質です。TCAはフェノールをベースとして、活性型の塩素とコルク栓に寄生する微生物によって自然発生します。従来はコルクが大部分の要因であると考えられ、コルク汚染と呼ばれましたが、コルクを排除してもTCAの含有は根絶されないために、様々な要因が絡んでいるようです。TCAは一般的な測定器の検出限界以下の極微量で香りを劣化させるために、その存在を逐一測定することは困難で、ワインを開栓してテイスティングして初めて確認できるというのが現状です。ブショネが確認されるのは約5%の割合で、そのワインは廃棄せざるを得なくなり、これによる経済損失は年に1兆円に上るとも推測されます。その様な状況であるにもかかわらず、ヒトの嗅覚に対するTCAの作用は不明でした。

そもそも、「匂い」は、鼻の中に匂い物質が入り、匂いを感じる嗅細胞の「線毛※1」が興奮することから始まります。線毛に高密度に発現しているイオンチャネルを介して、「匂い物質」が持つ化学信号が生体電気信号へと変換され、その電気信号が中枢(嗅球・脳)へと伝わって、固有の「匂い」と知覚することができます(図1)。そこで今回は、TCAの嗅細胞への効果を直接検討しました。

実験※2で2,4,6- trichroloanisole(TCA)を嗅細胞に投与しますと、嗅細胞線毛に発現している匂い情報変換チャネル(サイクリックヌクレオチド感受性チャネル=CNGチャネル)の活性が抑制されることが見いだされました。CNGチャネルは、ほとんどの匂いの情報変換を担っているイオンチャネルですから、TCA存在下でヒトの「匂い知覚の減少」が引き起こされることと等価です。TCAによるチャネル抑制作用は、匂いを抑制すると言われ、香料にも利用される強力な嗅覚マスキング※3物質(ゲラニオール、バラ様の香り)やイオンチャネルの抑制剤(L-cis diltiazem)よりも強い効果を示しました。更に、チャネル抑制は1 aM(アットモル:10-18 M)溶液という極低濃度でも観察されました。これは薬物としても法外※4な値です。ゆっくりとした時間積算効果や、抑制率と水相・脂質分配係数LogD※5との相関からも、本結果は、TCAや関連物質が細胞膜の脂質二重層※6を介して、チャネルを抑制しているメカニズムを示唆しました。

ヒトの匂いの感じ方は非常に曖昧※7で、ワインのブショネによって嫌な匂いが加わったと感じられることも多いのですが、今回の発見ではTCAによって嗅覚の減弱・遮断が起こっているということが初めて分子的観点から明らかになりました。これをもとに、身の回りの飲食品で風味が落ちて品質が劣化した商品を検討したところ、驚いたことに、TCAは、ワインのみならず商品価値が下がった多種多様な飲食品中(バナナ、カシューナッツ、鶏肉、ビール、日本酒、ミネラルウオーター、水道水、ウィスキー、リンゴ、栗、卵、小麦粉、玉ねぎ、レーズン、ウニ、エビ)や梱包材(住宅建材、食品パック用フィルム、紙袋)にも含まれていました。TCAの効果が風味低下であると認識されなかったために、食品にTCAが含まれるとは誰も予想せず、検証も行われなかったのです。食品に含まれるTCAは一般的な測定機器では検知できないほど薄いため、これまで気づかれない存在でした。飲食品の品質劣化に関して、従来の商品検査、検討方法を改めて検討し直す必要があるでしょう。本研究では、私たちの鼻にある嗅細胞が極薄い濃度のTCAにも影響を受けることを発見したことで、嗅細胞が測定機器よりも優れた抑制因子の存在のセンサーとして使うことができるかもしれません。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

ヒトの基本的な生理的欲求の一つである食欲。本研究により、ごく微量で風味を減弱させる分子が見つかりました。これまで、風味がなくなるのは香りの分子が少なくなるためであると考えられてきただけに、この発見は、従来の概念を根底から覆す形となりました。飲食物の摂取は、生存そのものに深く関係し、また、香りの環境は精神的、身体的の両面から我々に影響することからも、広い分野で重要な意味を持ちます。飲食品産業界では、風味の低下した食品にTCAや関連物質が高濃度で含まれることから、今後、風味を損なわないための対処が期待できます。これに関しては、飲食品自体の質以外にも、流通経路、すなわち洗浄、輸送や保管の過程で混入する可能性があり、今後、関連する多くの業界がTCA混入の可能性を再検討することで広い範囲の商品の品質向上が期待されます。本発見の革命的な点は、従来、曖昧であった飲食などの摂取物の質的価値を決める1パラメターに「抑制」という概念が新たに明瞭化され、物質的・科学的に定量化された点にあると考えます。飲食品以外の産業界では、TCAの持つ強力なチャネル抑制剤としての側面を利用し、「嫌な匂いを消す」製品に応用することも期待できるでしょう。劣悪な匂い環境における一時的な匂い感受性低下を始め、幅広い分野で、本研究で得られた生理的消臭原理、つまり、「化学的・物理的・生物的消臭法」という既存の概念とは異なる新しい概念の消臭原理を取り入れた製品開発に繋がることも期待できます。ますます増える介護の現場などでは新たな展開があるかも知れません。生体内1aMでの作用というのは薬剤としても驚異的な数字で、チャネルブロッカーとして知られる薬品よりも高い抑制効果を示します。今回の研究では、TCAが驚異的な濃度でチャネル抑制を起こす動作原理が推察されました。嗅覚阻害剤のみならず、痛覚などの感覚遮断剤、チャネル阻害剤の分子設計の指針となることが期待されます。

特記事項

本研究は、大阪大学大学院生命機能研究科と大和製罐株式会社総合研究所と共同で行いました。

本成果は、2013年9月16日午後3時(米国東部時間)に米科学アカデミー紀要「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United states of America」のオンライン速報版で公開されます。

論文名および著者名

2,4,6-Trichloroanisole is a potent suppressor of olfactory signal transduction
Hiroko Takeuchi1, Hiroyuki Kato2, Takashi Kurahashi1
1 Graduate school of Frontier Biosciences, Osaka University, 2 Daiwa Can Company

参考図

図1 嗅覚受容システムとTCAによるチャネル抑制
鼻の中にあり、匂いをキャッチする嗅細胞では、線毛と呼ばれる部分に2種類のチャネルタンパク質があります。TCAは極低濃度でCNGチャネルを抑制しました。匂いのもとがあっても、匂いを感じないという現象がおきます。

用語解説

※1 線毛
嗅細胞の先端に生える細い繊維。直径100nmの微細構造のため、近年、実験・研究が可能になった。

※2 実験
イモリの単一の嗅細胞のチャネル活動を電気的(パッチクランプ法)に記録した(下図)。CNGチャネルは、細胞内のcAMPによって開くが、100nm直径の線毛なので還流などはできない。本実験では、光活性化cAMP(caged cAMP)を細胞内に入れ、外部から光を当て、チャネルを制御した。

※3 嗅覚マスキング
匂いが匂いを消す作用。古代エジプト時代のミイラの作成時や中世ヨーロッパでの香水の繁栄はこの作用によるところが大きい。現在も、飲食品のみならず、身の回りのあらゆる商品に利用される。嗅細胞CNGチャネルを阻害することで生じると考えられる(Takeuchi et al., 2009)。

※4 薬物として法外
生体で通常の薬物の作用濃度はμMのオーダー(例、フグ毒:TTX)。1aMは1μM より1012 倍薄い。

※5 LogD
化学物質の特性である疎水性を表す分配係数。水と油(オクタノール)からなる界面に、ある物質を入れた時どちらに多く存在するかを意味する。数値が高いほど油に溶けやすい。

※6 細胞膜の脂質二重層
我々の体を作る細胞の細胞膜は脂質2重層とそれに浮かぶタンパク質から構成されている。脂質2重層はリン脂質が平面膜を構成したものである。リン脂質は親水性の小さな頭と疎水性の長い側鎖を持っていて、親水基を細胞外液と細胞内液へ向け、側鎖を膜内に収めているため、脂質二重膜の内部は高い疎水性の特性を持つ。

※7 嗅覚が曖昧
視覚や聴覚などと異なり、嗅覚の情報は匂いの種類を特定するよりも前に、脳の上位部位(辺縁系)に情報を送る。つまり、嗅いだものが何であるかを知ることなく、記憶(海馬)が呼び起されたり、情動(扁桃体)が変化し好き嫌いが生じたり、体調が変化(視床下部)するのが嗅覚の特徴の1つ。

参考URL

大阪大学 大学院生命機能研究科 生理学研究室
http://saturn.bpe.es.osaka-u.ac.jp/kura_pub/kurahasi.html

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